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戦争体験談「ある一日」

更新日:2019年6月21日

ページ番号:76880589

ある一日


佐藤 璋吉(79歳)


 今日も暑い1日になるんだろうか!朝から日差しは眩しく地上に降り注いでいる。8月中旬、正に盛夏である。今の高齢の私には体力を奪われる程エネルギーの消耗が厳しい。我が家の居間では5歳になる孫がソファーに座り、美味しそうにオニギリを食べていて、時折笑い声が聞こえる。オニギリの中身は大好物のシャケがたっぷり入っており、外側には米粒が見えない程、板海苔が巻いてある。テレビはドラえもんの番組でのび太が何かをしくじり、ジャイアンに追いかけられている。この姿は平和な光景であり、永遠に続いてほしいものである。

 私の5歳の時をふと回想する。時は昭和20年8月、終戦間近であった。東京の荻窪に居住していたが、近くに中島飛行機という軍事工場があるので、アメリカによる爆撃で危険にさらされると考え、東北の親戚の家で世話になる事になった。そこから逃避行が始まったのである。

 「早く起きなさい、早く起きて」と母の大きな声でまだ寝たばかりなのにと思いながら布団から出る。急いで身支度をして商店街の表通りに向かい、3人手を取り合ってたどり着くと一定の方向へと多数の人達は流れていた。私は5歳、母は32歳、祖母は61歳。道中には商店が軒を並べていたが、家屋に火の手があがり、燃え盛っていた。炎は渦を巻いて上空へと火柱が昇っていき、まるで生き物のようである。その火柱が火の粉となって地上に降ってくるのである。家屋の燃焼の勢いが強いので、周囲の空気は熱せられ熱風が吹いている。そのため息苦しい。私達の進んでいる方向が必ず助かるとは限らなくても、前に進むしか手段はなかった。

 いつのまにか周りには行動を共にする人達は数人となっていた。住宅街を抜け、さらに前進すると目の前は森林地帯であった。森林地帯に入ると道中はかなり狭く、周囲の木は同じように燃え盛っていたため、さらに暑く息苦しく、痛い思いをしながら前へと進んだ。出くわしたのは川であった。また難所かと思ったが、川のそばに行って確認すると、流れは緩やかで深さもさほどでもなく、川底の石が見える程であった。母は私の手をとり、渡る決意をしたのか、慎重に川の中に入り、向こう岸にたどり着く。祖母も一緒に進み、対岸に無事3人揃ってたどり着いた。

 さらに進むと今いる場所より下方に田園地帯が広がっていた。私達は田んぼに降りてこの場所に留まる事を決めた。今いる場所から50m程前方には田んぼと住宅街の境界があった。住宅街も炎があがっているのが確認できた。田んぼに降りて3人が一つの固まりになって森林からの火の粉を避けていた。幸運だったのが、用水路の中で水が流れていたが、この位置が1m程下の位置にあったので、熱風をかなり防いでくれた。田園地帯だけは空が黒色となっていたが、森林、住宅は相変わらず燃える炎で赤々と空をこがしていた。

 夜が明ける前に私はこの世ではありえないと思われる地獄絵を見る事となる。それは住宅街の火災を背景に見た光景である。住宅街に向かって一人の男性が両手を頭上にかざし、布団のような物で火の粉を防いで逃げている姿が目に入った。一段上に位置する地上にあがった瞬間、そこに火柱が白く光って赤い炎に包まれたのである。眩しい程の明るさが確認された。焼夷弾の直撃を受け、被弾したのだと思った。どれ程時間が経過したか!やがて周囲が少しずつ明るくなってきたが、私達はしばらくその場所から離れられなかった。

 この頃になると森林、住宅街の火は鎮火していた。しばらくして住宅街に向かって歩き始めた。すっかり夜が明けていた。田んぼから地上にあがったが、昨日まであったと思われる住宅街は全く異なった景色に変貌していた。突起物は地上からすっかり姿を消し、遥か彼方まで見渡せる焼け野原と化していたのである。

 時間は午後になっていたか!太陽の直射、焼け落ちた家屋の残骸から発する熱で息苦しさは昨日よりさらに増していた。昨日まで人々の声、炎の音が聞こえたが、今日は静かな環境で黙々と歩く私達であった。この頃には私達の他には誰一人といなかった。道端に長方形の物体があり、その上には布等がかけられていた。人の等身大のサイズであり、おそらく人間の死体と思われるものがところどころ放置されていた。

 さらに進むと道中の広い道路に出たので、この道を進む事とした。日差しは更に強くなり、私達の疲労は増していた。そこに一台の軍用トラックが私達の横を追い越していった。ここで奇跡が起きたのである。軍用トラックは前方で停止した。そして一人の兵隊さんが降りてきて私達の方に歩いてきたのである。近づいてきた兵隊さんは母と何か話をしていたが、手に持っている物を母の手に渡した。それは一つのオニギリであった。手の上のオニギリはまぶしい程光っていた。現在のように中に何か入っていたわけでは無い。外側も板海苔で巻いてはいないが、銀シャリの輝きが感じられた。兵隊さんには丁寧にお礼を言った。オニギリをむさぼるように食べた。空腹時に少量であったが、この時の味は一生忘れられない。まさに奇跡である。

 さらに進むと鉄道の線路を発見した。母はこの線路伝いのコースを選択し、進む事にした。どれ程歩いたかは記憶に残っていないが、かなりの時間経過であったと思う。何か音が聞こえてきたが、鉄橋であった。私は母に手をしっかりと握られ進む。下を見れば流れが速く、波音を立てている川がある。祖母は恐怖のためか!四つん這いになって渡っていた。鉄橋も無事に渡りきって進むと駅に着いた。これで東京に帰れると思った。その後列車が入線し乗り込む。車内はスシ詰め状態で私は押しつぶされていた。しかし、私は突然宙に浮いたのである。知らない男性が私を抱えて網棚の上に乗せてくれたため、そこに移動したのである。このままの状態で東京までいた。

 私達の生活では戦争はいらない。日本は永遠に平和であれ。地球も平和であれ。

令和元年6月17日寄稿

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