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戦争体験談「戦争は人の心を失います」

更新日:2018年2月23日

ページ番号:47960026

戦争は人の心を失います


菟原 満(82歳)


 昭和16年12月8日に戦争が始まりました。私は小学校1年生でした。

 姫路城の北堀のすぐ側に学校が有りました。東側のバス通りには、時々兵隊さんが大勢隊列を組んで、肩に鉄砲をかついで、ラッパ手を先頭に行進をしていました。とても勇ましく感じて、私も大きくなったら兵隊さんになろうと思いました。3年生の頃、学校の近くに兵舎が有ったので先生と一緒に慰問に行きました。

 田舎に居た私の母の弟も出征しました。家族全員で叔父さんを送りました。父方の従兄も応召しました。親戚一同で写真を撮って送り出しました。2人共、帰ってきませんでした。

 日本が勝っている間は生活も明るく何も心配はなかったのですが、だんだんと様子がおかしくなって来て、学校の勉強中に警戒警報のサイレンが鳴る様になりました。何がどうなっているのか分からないまま急いで家に帰る事が多くなりました。

 学校の校庭には、ルーズベルトとチャーチルの人形を立て、木製の銃剣で突く事が日課の様になりました。いつの頃からか東の方の軍関係の工場が空襲で焼けたと聞く事が多くなりました。子供心にも恐ろしさが分かる様になりました。私達が住んでいる町内会でも広場に、防空壕を作ることになりました。完成してみんなで壕の中に入ると暗くて、ジメジメしていて気持ちの良いものではありませんでした。

 ラジオの放送でも各地の空襲が激しくなるのを連日放送する様になりました。夕方になると、近所の人達と一緒に、市川の右岸の竹薮の中に隠れる様になりました。防空壕は嫌なので。夜中にお腹がへるので、大豆を炒って、缶に入れて持って行きました。藪蚊にさされて困りました。

 毎日、食べる物が少なくなって、食料は配給、衣類は引替券がないと買えませんでした。かまどに燃やす薪も無くなり、長尺の木製のハシゴも切りくだいて燃料としました。夕涼み様の縁台も壊して薪にしました。

 昭和20年7月3日の夜、姫路にも空襲が有りました。探照燈に浮かぶB29の機体は白く光って不気味でした。爆弾の音がだんだんと近づいて来たので町内の人全員が防空壕に入りました。市川の土手まで逃げる間が無かったのです。爆弾が近くに落ちるたびに壕が激しくゆれました。屋根が崩れるかも知れないので、みんな早く壕から出る様にと隣保長さんが叫びました。全員が出た後、壕は崩れました。母と私は頭の上に布団をかぶって方角も分からないまま走って逃げました。途中で母とはぐれました。一人になって心細くなりましたが仕方がありません。

 姉は4才になったばかりの弟を脇にかかえて違う方向に走りました。私が神社の前まで来た時、桧皮ぶきの神社の屋根に数個の焼夷弾が突きささりました。見るまに火の海となりました。神社の前の小川の土手に疲れてすわりこんで居ると、目の前の水田に焼夷弾がブスブスと突きささりました。泥の中なので火は見えません。

 東の空が明るくなって飛行機の姿も無くなったので、家の有った方向に一人歩いていました。家が有るか無いか心配でした。近くまで戻ると家が見えました。姉も弟も母も揃いました。嬉しかった。

 父は空襲が激しくなる前に、自分の田舎に家族を疎開させるべく、田舎に帰っていて居ませんでした。数日後に父が迎えに来たので家族みんなで姫路駅に向かいました。途中、町の建物がみんな焼け落ちて平面になっていました。田舎に着いた時、山と川だけの静かさに安心しました。

 戦争で何か得るものは有りません。戦争は人の心を失います。平和に勝るものはない。

平成29年8月10日寄稿

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