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戦争体験談「B29爆撃機の空襲」

更新日:2018年4月24日

ページ番号:76500166

B29爆撃機の空襲


紅野 英二


 昭和19年になるとアメリカ軍による空襲が増してきた。当時私は中学2年生で西宮市の常盤町に母と兄の3人で住んでいた。

 秋頃だったか、兵役等で少なくなった働き盛りの男を補うため、中学生の我々も学徒動員で工場で働くことになり、NTNでベアリングを作るため旋盤機をまわしていたら空襲警報が出て、武庫川の河原に作られていた防空壕(と云っても河原を掘り下げた粗末なもの)に避難した。警報解除となり、工場に帰ると豆かす(大豆から油を搾りとった残りかすで今は家畜の餌にされているのではないか)入りのご飯とモズクに酢をかけただけのオカズが出た。食料不足の当時はこれでも何の文句も無いご馳走だった。暫くすると西宮方面に被害があったと云う事で帰宅が許された。帰ってみると近くの寿町にも爆弾が投下され、その余波で常盤町の我が家の縁側のガラス戸が割れたりひびが入り、飛んできた鉄の破片などが落ちていた。寿町では何軒かの家が破壊され、田んぼには直径数メートル程の穴が幾つもあいていた。そして何人かが死亡したという。

 また別の日には空襲警報発令とともに前述の武庫川べりの防空壕に避難した。編隊は大阪方面へ向かっているらしく高射砲を撃っている音がするが、なかなか当たらない。しかし何処で被弾したのか、またはゼロ戦か紫電(戦闘機の名前)にやられたのか、見慣れぬ飛行機が超低空でやって来て、北のほうへ去って行くのを見たが、多分墜落したと思う。暫くすると大阪上空の雲に水面に石を落したような丸い波紋がパッパッと幾つも広がると見るやドスンドスンと地響きのする爆発音が響いた。多分今の大阪城公園あたりにあった軍需工場が攻撃されたようだが、軍事機密だから新聞には載らない。

 昭和20年初夏の頃、空襲警報のサイレンが鳴り、ラジオをつけると「御坊沖でB29爆撃機が編隊を組んで旋回している。阪神方面へ北上するとみられる」と放送しているので、防空頭巾(座布団を二つ折りにしたような被り物)をかぶり身なりを整え、母と兄と3人で庭に作った防空壕に避難した。暫くすると遠くから編隊の近づくゴーンゴーンという不気味な爆音が聞こえはじめ、やがて高射砲のズボッズボッという炸裂音がしたと思う間もなく爆弾や焼夷弾が落下する風切音がジャージャーーと。それはあたかも沢山のトタン板の上に沢山の小石を落し流しているような何とも言えぬ不快な大きな音(恐怖感をあおる細工をしてあったのかも?)と共にドスンドスンと地響きのする爆発音が続いた。これは尼崎や大阪が空襲された時のことである。近辺に着弾する時のことを考えるととても心細いので、次回からは家の筋向いの空き地に町内で作った共同防空壕に入る事にした。

 昭和20年8月5日、姉の義父が仕事の都合で今晩泊めてもらいたいと突然やって来た。母はどのように都合したのか平素より少しマシな、と云っても粗末な夕食を用意してもてなした。夜は節電や防空のため天井から吊るした暗い電燈を黒い布で遮蔽し、ひっそり過ごした。姉の義父も昼間の疲れか、雑談もそこそこに就寝した。

 その後、間もなく空襲警報が発令されて、B29が阪神方面へ向かっているとのラジオ情報で急遽母は姉の義父を起こし、「空襲です、急いで向いの町内の防空壕に行きましょう」とせかしたら、「分りましたすぐ行きます、先に行ってください」と云う間もなく高射砲や爆音が聞こえだし、我々親子も大急ぎでそこに避難した。やがて焼夷弾がジャージャーと大きな風切り音をたてながら降ってきた。防空壕の外には急いでやってきた幾人かがいて私は入り口にいた。その時落下してきた一発が近所の何でも屋の主人に当たり、ドスンと鈍い音にあわせて彼は「やられたっ!」と叫んでひっくり返った(この人は間もなく亡くなられた)。B29の編隊が去るとまわりの家から火の手が上がったその時、平素豪快な町内会長が「山へ逃げろーっ」と叫んだ。燃え上がる家々をバケツリレーで消し止めようと気張っていた気丈な人々も我々もこれで急に力が抜けて、かねて掘ってあった南郷山の洞穴(現在の西田公園)目指して一目散に走って逃げた。編隊も去り、やがて真っ黒な雨が降りだし、火災も峠を越したのでそれぞれ自宅を目指した。帰ってみると家は盛んに燃えていて屋根は落ち、面影は無くなっていた。

 町内会長の号令は正しかったのか、間違っていたのか何とも言えないが、非常の時に組織の上に立つ者の姿勢が下の人に与える影響の大きい事をこの時身に染みて感じた。後に自分がそのような立場になって仕事上困った時にはよい指針になった。

 そこで我に返ると姉の義父がいない!大変!焼失を免れた近所にも見当たらない、下火になった我が家に近寄ると髪の毛を焼いたような匂いもする、これはえらいことになった!と思案に暮れていたら、近くの姉たちの仲人をしてくれた人の家に居ることが分かった。その仲人は造り酒屋に勤めていたから、そこでなけなしの貴重な気付け薬(酒)を頂いていたらしい、やれやれであった。

 夜にもB29はよく飛来した。山手の高い所から見た人の話によると焼夷弾は花火のように、或いは火の粉がゆっくりゆっくり落ちて行くような美しさだったと云う。

 今も昔も人の集まる所には争いが絶えない。国家間でも時の空気や為政者達の資質により戦争に至る事が多い。もしそうであるなら平和の到来は戦わずして解決してくれる為政者を選びたいものです。

平成30年4月20日寄稿

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