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戦争体験談「豊中大空襲」

更新日:2018年2月23日

ページ番号:99466444

豊中大空襲


汐月 和子


 昭和20年6月7日、当時大阪府立豊中高女4年生の私は、勤労動員で三国の工場で飛行機のプロペラの元である電覧集束管という大事な物を作っておりました。

 父は会社へ出勤、母は下の弟妹2人の疎開先の福井県へ、妹は大池国民学校(6年生)へそれぞれ出ていました。

 やがて、大阪市内の空襲が始まり、B29の焼夷弾による爆撃がじりじりと三国の方にも迫り、防空壕に避難していた全員が先生の「壕を出て、退避」の声に全員一斉に町はずれに向って、田畑の中を夢中で駆け出したのです。頭上にB29の爆音をききながら必死で逃げました。

 途中、工場の方を見ますと、火の玉のような焼夷弾が雨のごとく降り注ぎ、炎に包まれるのをお友達と呆然と眺めながら放心したように立ちつくしました。

 やがて皆、豊中に向って歩き始め、一番遠い私が1人になり、心細い気持ちで、ふと我が家の方を見上げますと、煙が上がって何かいやな感じがしたのです。しばらく家の近くまでたどりついた時、お友達に「二町会は全滅よ」と聞かされ、父と妹の事が気になり足が前へ進みませんでした。我が家の前に立ち、まず父と妹の姿を見たときの気持ちは、言葉に表せないものでした。

 今朝、何事もなく出かけた我が家は、無惨というよりほかにない位ひどいものでした。2階の屋根はすっかり抜け落ちて空が見え、壁、ガラス等すべて粉々になり、畳や廊下をうめつくし、家財道具はすべて見るかげもなく家は骨組のみ残っているありさま。大好物のえんどう御飯はおひつの中で土にまみれてがっかりしました。

 妹は学校から帰り、大切な物を壕に運んだりしているうちに父が会社から帰り、壕に入るなり爆弾投下が始まり、もう少し父の帰りが遅ければ父も途中でどうなっていたのかわかりませんし、小学生の妹1人、壕の中で百雷が一時に落ちたほどの、いえ、それ以上の恐怖の瞬間をどうしていただろうと思いますと、父が早く帰れたこと、本当に幸運でした。

 その上、もう一つ奇蹟が起こりました。町内に落ちました数発の1トン爆弾のうちの1つが、お隣の庭に不発でゴロンと横たわっていたからです。これが爆発していたら、父も妹も我が家もろともあとかたもなく消え去っていただろうと思いますと、全くの奇蹟としか思えません。爆弾を最初に見つけた時は「お隣の井戸ならお水が」と考え、一歩足を踏み入れてアッと息をのみました。井戸のすぐ横に長さが私の背丈以上もある(1トン)爆弾が小さいすり鉢型の穴の中に横たわっていたのです。足がすくみました。それは時限爆弾かも知れないとの事で、大池国民学校で一夜を明かし、不安で眠れませんでした。

 1トン爆弾により我が家の前の数十軒の家はあとかたもなく吹きとび、消えてなくなり深く大きいすり鉢型の穴があいて、あちこちに爆弾の破片が鋭利な刃物のようになって不気味に光っていました。

 一家全員、防空壕の中で圧死された方も多く、戦時中、町内会隣組の組織のお陰でお互い助け合い、親密なつながりを持っていましただけに、一瞬の爆撃のせいでお互いお別れの挨拶もできないままちりちりばらばらになってしまった事が心残りでした。

 71年前、日本本土で起きた恐ろしい空襲の悲惨さを知って頂きたいと思います。

平成28年11月21日寄稿

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