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戦争体験談「私の大東亜戦争」

更新日:2018年2月23日

ページ番号:73984468

私の大東亜戦争


宇野 秀和


 昭和20年7月28日は一宮市大空襲の日。ほぼ全土が焦土となった。日中何度か警戒警報のサイレンが鳴ったが、何のこともなく解除。夕刻7時頃、突然我が家の勝手裏に火の手が上った。父が急ぎ、「退避、逃げろ」と命令、母と姉・兄・私・妹2人の6人が表玄関から逃避、防空頭巾他、退避用具は常時、整理整頓されている。父は町内の消防団員で町内に留まらなければならない。あても無く、燈火管制下の暗闇の中を市外の田畑に向い逃げ歩いた。どこまで逃げたか定かではない。火の気配のないところに夜通し。

 私は愛知県一宮市立第一国民学校初等科第2学年8歳。乳母車に最下の妹が乗せられ、必要最低限の必需品が入っていたはずが、水も何も口にすることなく夜通し歩き逃げ、翌早朝、自宅に戻った。帰途B29(ビーニク)の焼夷弾油脂のなんともいえぬ悪臭、黒焦げの死体、焼けただれた建造物等の残煙、燻った匂いの中を我が家へたどり着く。父が全焦土と化した焼跡にただ1人ぼう然とたたずんでいた。家族全員が無事。28日の昼過ぎ、最下の妹「稲」が息を引き取った。栄養失調死。1歳に満たない可愛い子。稲の名付けが良すぎたのかと父母が言っていた。戦時中の統制経済下で衣食等の配給物資不足、粉ミルクもままならず、当然母乳も栄養不足で出ない。我が家は町中で食事は雑炊、さつま芋入りお粥、カボチャ、団栗パン、イナゴ、エビカニ等あらゆるモノを食べた。さつま芋の茎葉は美味しかった。さつま芋は今でも好き。代用食で随分世話になったから。

 前後するが、我が家は中庭付きのまあまあの家屋だったが、焼跡に残ったのは浴槽に入れてあった食器が2~3点のみ。五里以上歩いたか、夢中に飲まず食わずに…。不思議と恐怖感、疲労感は抱かなかった。昼前に市からおにぎり1人1個の支給がある。久しぶりの白米の味が生きた心地を味わう。美味かった。寝るところもなく、しばしぼう然としていたが、父の知人の町外れの富田家にたどり着き、土蔵に3日間お世話になる。大きな青大将がトグロを巻いていて怖かったが、父が「守り神」だからと。幸運だったが他人の家、かわやへ行くのも気遣う。その後、名古屋の母の在所大野家宅に世話になる。高級住宅地の今池本宅が強制撤去され、八田へ転宅。祖母、伯母には非常に優しくしてもらった。母の兄は学者肌で無口の伯父で随分気疲れした。野坂昭如の「火垂るの墓」の心理描写が良く解る。

 8月10日頃、尾張一宮駅ホームで名古屋行きの国鉄列車を待っていた。突然米軍の艦載機が機銃掃射。「パンパンパン」と、父が「伏せ、ベンチの下に潜れ」と命令、とっさに行動し助かった。極低空飛行での敵機を見上げると航空帽・飛行眼鏡をかけた敵兵がハッキリ見えた。一瞬のことでぞっとしたがしばらくして数人の人が担架で運ばれていく。空襲警報サイレンも28日同様鳴らなかったと思う。夏休み中の出来事である。

 8月15日敗戦の日、名古屋の母の従姉妹の野村おばさまの家で玉音放送をきいた。被災を免れた立派な屋敷の前で近隣の方たちと玄関前で、天皇陛下様のお声を平伏して聴いた。雑音が入り、ききづらく、最初の「朕は…耐え難きを耐え…ああ悲し」だけは鮮明に記憶している。

 日は過ぎ、父が一宮市外馬引村にアパートを借りた。といっても大きな屋敷の大広間を4つに仕切った各一間だけの部屋、仕切りは衣紋掛けや衣装箱等。共同便所、共同台所、それでも一家水入らずの「狭いながらも楽しい我が家」である。夏休みが終り、第2学期が始まる。私が通学していた市立第一国民学校は全焼、被災を免れた第三国民学校での借家教室で二交代制の時差授業が始まる。他校の生徒とは余り接することはなかったが、引け目はあった。元の校舎が木造平屋建てに復興したのは第3学年第2学期からと思う。GHQの指導で宮西小学校と校名変更となる。順位付けは平等を欠くと。市立宮西小学校はこれもGHQの要請でトライアウトスクールになる。

 戦前中後の事は語りつくせないが、書面の限りありてこの辺で閉じます。今生きるを感謝する。

平成28年8月10日寄稿

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