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戦争体験談「あの苦しかった大東亜戦争を強運でのがれられた私」

更新日:2020年4月8日

ページ番号:60981833

あの苦しかった大東亜戦争を強運でのがれられた私


松本 吉男(97歳)


 
本日(令和2年3月10日)、この日は実に私にとりまして一生一度の物語を語る。米軍の東京大空襲75周年に当たりまして思わず、その東京を米軍が爆撃し、私がその大空襲に東京都民の何百人かの死体を収容させて頂いた、つらい思い出の日だったのです。

話をしますと長くなりますが、大正12年に西宮市上葭原町で生誕いたしました私はやさしい父母のもとで育ち、彦根の学校を卒業し、姫路の軍隊に入隊し、初等兵訓練をうけました。その後、隊よりの命令で、お前たちは南の島ラバウルに行って戦って貰うとの命令でした。あーあー、これで自分も20才そこそこで南の島で戦死するのかと、あきらめた気持ちでした。ところが学校を出ていたので幹部候補生に甲種で当選し、南方の島ラバウルに行くはずが、反対に日本の東京にある世田谷の幹部候補生学校へ行かされました。毎日、今までに乗ったことのない輸送用トラックで毎日苦しい演習訓練を受けていました。

そこで、あの米軍の東京大空襲にあいました。一夜明けましたら東京は焼野が原、見るもむざんな大東京になっており、町はほとんど焼け落ち、死体がそれこそすごい数でころがっていました。私共の隊は自動車隊ですので、それら大変可愛そうな死体を取り片付ける仕事を命令として受けとり、それこそ泣きながら毎日黒こげの男女の死体をお寺のお穴に収める仕事でした。可愛そうもいっていられません。毎日体まで死体の臭いが移るつらい軍隊の仕事でした。

運の強かった私はその後、千葉県の自動車隊で見習士官となり、多くの兵士諸氏にご苦労かけましたが、がまんのかいがありまして終戦を無事迎えることが出来ました。後は終戦後何十年と苦労いたしましてある会社の部長で終わらせて頂き、今や97才で、まだ、人様の為に頑張っています。

有難とうさんでしたと感謝の毎日です。3月10日、テレビで東京大空襲七十何周年かと放送があり、西宮市民にもこんな戦争体験者が居ります事をお知り頂きたくペンをとりました。

令和2年3月10日寄稿

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