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戦争体験談「昭和20年 私のあの夏」

更新日:2018年2月23日

ページ番号:20321388

昭和20年 私のあの夏


小島 久


(1)巡洋艦「利根」の最後

 1万トンを超える堂々たる姿ですが、大人達の話では、もう燃料や補充装備もないそうで、木の枝などでおおって、小さな半島のように見せかけていました。何日にもわたる敵機の魚雷攻撃を受けても、見方の護衛はなく、自力航行もできないので、どうしようもありません。横腹に何発もの命中弾を受けて、ついに浅瀬に座り込んでしまいました。艦影も見えないほどの猛煙の中から、まだ果敢に応戦しています。主砲までぶっ放していますが、その度に村の中腹でかたずをのんで見守っている私共は、芋穴の床板ごと跳ね上げられます。

 7月25日、抵抗むなしく遂に沈黙してしまいました。あこがれの海軍さんが少なからず犠牲になられました。

(2)「チューリンガミ」

 勝ち誇った敵グラマンが、行きがけの駄賃とばかり、機銃掃射を浴びせてきます。相手が子供でも、飛行眼鏡の顔をこちらに向けて、急降下してきます。私は自分が虚弱児であることも忘れて、早く戦闘機乗りになって仕返してやる、とにらみつけていました。

 この戦闘で敵機も艦砲の爆風を受けるなどして墜落しましたが、1人の飛行兵が島の裏側に降下して、我が方の捕虜になったことがあります。

 翌日の朝礼で校長先生が訓示しました。「敵は食うものがよいよのうなって、チューリンガミちゅう紙を食うとるげな。日本が勝つのはもうすぐじゃ!」

 敗戦の17日前頃のことでした。

(3)ピカドン

 8月6日 午前8時15分

 雲ひとつない青空のもと、小便のとばしっこをしていた私共4人に、突然真っ白な閃光がおそいかかりました。あの「ピカ」です。呆然と立ちすくむうち、今度は、海も島もひとまとめに揺さぶるような「ゴー」とも「ドドーン」ともつかぬ衝撃におそわれました。肝をつぶして、目の前の納屋にはい込んで干草の山に頭を突込んで身をちぢめていました。物音ひとつしないので外に出てみると、でっかい雲の塊が広島市の方にそびえ立っています。下の方は焔の色に染まり渦を巻くように上へ上へ登っていきます。見たことも無い不気味な怪物でした。

 逃げて帰り、縁側でわら草履をあんでいたところへ村の青年が「新型爆弾じゃげな。」と知らせにきました。翌日から何とか動ける大人たちがポンポン船に乗って広島の街へ身内を探しに出かけて行きました。

(4)遠縁の娘さん

 数日後、広島第一高等女学校に上っていた遠縁の娘さんが帰って来なさっとると聞いて訪ねました。娘さんは薄暗い離れに1人座って髪をすいていましたが、すく度に髪が抜け落ちています。私を見て、かぼそい声で礼を言われました。「ありがとあります。」

 ことの成り行きにとまどっているようでもあり、怒るすべも知らないままに、恥ずかしげにほほえもうとしています。私は突然、自分がお見舞いに来たのではなくて、ただピカにやられた人を見に来たのだと、いたたまれずに逃げ出したのです。

 不発弾の暴発で指3本を吹っ飛ばされたり、たまたま市内に出向いていて被爆、頭のてっぺんを火傷して「ピカ、ピカ」とからかわれていた級友たちは今どうしているでしょう。

 遠縁の娘さんは、当時、間もなく亡くなられたと聞きました。

平成29年1月24日寄稿

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