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戦争体験談「神戸の大空襲」

更新日:2018年2月23日

ページ番号:10510904

神戸の大空襲


大谷 嘉成


 昭和12年1月8日、神戸市兵庫区上沢通8丁目121番地に私は生まれました。7年が過ぎ、小学校1年生になりました。ランドセルを毎日眺めながら楽しみに待っていたその日、川池国民学校に入学しました。

 楽しみにしていた学校には毎日のようにサイレンが鳴り響き、ウーウーと警戒警報のサイレンが響きわたり、警戒警報発令、そして少し経つと、またサイレンがなる。今度のサイレンは小刻みになり、空襲警報発令の合図である。そうすると生徒は全員必ず家に帰らないといけない。毎日このような日々が続きます。だから毎日学校には行っていますが、勉強ができません。2年生、3年生になるともっとひどく、ほとんど勉強ができていません。

 最初のうちは飛行機が飛んできても照明弾を落とされる程度でしたので、どこか安全な場所に避難するか、防空壕に入るかどちらかを考えて行動するのですが、神戸の大空襲の日、昭和20年3月16日午前2時、空襲警報のサイレンが鳴り、待ったなしの状況で、上空にはB29爆撃機数十機が飛来し、沢山の爆弾・焼夷弾を投下しました。

 私たちは母、姉と私の3人で掛布団に水を含ませてそれぞれが頭にかぶり、山の方角に逃げたのですが、父は学校の先生で教育勅語を背中に背負って別行動で逃げました。我々は沢山投下される爆弾・焼夷弾の間を掻い潜りながら、2時間から3時間、目的もなく歩き回りました。

 私たちは爆弾・焼夷弾に当たることもなく、あちこちと逃げ回りましたが、周りの人たちの中には「死んでいる人」、「助けてくれと悲鳴を上げる人」、「手や足が飛んでしまった人」。本当に生きた心地がしませんでした。

 今でも不思議に思うのは、雨あられのごとく降ってくる焼夷弾に当たることもなく逃げ回りました。今までは暗闇の中を歩いていたので気が付かなかったけれど、道路には傷を負った人たちや、死んでしまっている人たちが互いに折り重なっているようなところを、足にいろんなものにぶち当たりながら歩いていたことに気づきました。皆さん想像がつきますか。

 あくる日から焼け野原になった神戸の街を食料を探して歩き回りました。近隣に隠れるところのない街を歩いていると飛行機から機銃射撃で何回もやられましたが、不思議なことに弾に当たることがなく、1ヶ月ほど生活をしていました。食料品はないかないかと探している間に4回から5回くらい機銃射撃を受けました。しかし、不思議なことに怪我もすることなく、病気もすることなく、3ヶ月が過ぎました。

 このまま神戸にいるわけにもいかず、7月頃鳥取県に疎開をすることになりました。しかし、田舎に疎開したものの食べるものがなく、ご飯は3日に1回程度、それもサツマイモのつるに米が数える程入っている。ある時、母親が自分の着物を持って百姓の家を訪ねて、米と交換をしてもらっていました。その日は久しぶりにご飯を腹いっぱい食べました。

 苦労を掛けた母親は早く亡くなり、私は早くに神戸に1人で出てきました。戦争の傷跡がひどく、食べるものもなく、随分酷い生活をしいられましたが、学校・就職・結婚と何とか自分の力でやりました。しかし、戦争はもうこりごりです。私の場合、よき先輩・よき指導者・よき友達、また周りの人たちが本当によき人が多くいたので、今日があります。

 戦争という大きな悲劇・貧困という悪い状態・第二室戸台風の自然悪・阪神淡路大地震、最悪のことも多かったです。しかし、私の今までの最悪のことは長女を失ったことです。今回、子どもの頃の苦労したことを思い出させてもらい、戦争は今後絶対にしないことを望みます。

平成28年11月1日寄稿

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