【六湛寺】 お墓に建った庁舎(昭和3年10月 )

更新日:2016年8月5日

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六湛寺の共同墓地

1 昭和3年 六湛寺墓地移墓式

 現在市庁舎のある六湛寺町は海清寺や茂松寺、如意寺などの寺院と有縁無縁の石塔や卒塔婆が立ち並ぶ共同墓地があり、キツネやタヌキの巣もある竹やぶが広がったうっそうとしたところでした。写真1の奥には海清寺が見えます。


西宮の街並み

 写真2は大正頃の阪神西宮駅東南側を写しています。正面に建つ瀟洒な建物は「敷島劇場」という映画館。電柱が立ち並ぶのは阪神電鉄線、その左側奥の木の茂っている辺りが、現在市民会館、東館、海清寺のある六湛寺付近です。
2 大正期 阪神西宮駅付近

3 大正14年 旧西宮町役場

 大正14年4月、市制を施行し新たなスタートを切る西宮。当時の西宮の街は酒蔵の多く建ち並ぶ久保町付近が中心であり、西宮町役場(写真3)も久保町にありました。


4 昭和初期 多聞ビルより西宮神社を望む

 写真4は市役所前線と国道43号の交差点南西にある通称「多聞ビル」から西宮神社を望んだ写真です。平屋住宅が密集しています。


阪神電車の開通と公設市場の開業

 明治38年に阪神電鉄が開業し、大正8年馬場町に公設市場(写真6)ができ、阪神電鉄線の南側は次第に開けてきますが、そこから北と省線(現JR)の間は湿地であったため、人家もほとんどありませんでした。写真5の西宮停留所は開業時にあった西宮停留所と戎停留所が明治40年に統合された駅で、通称戎停留所とも言いました。
5 大正3年 阪神西宮停留所(浅田柳一氏資料)  6 大正8年 西宮町公設市場内部(兵庫県「社会救済事業写真帖」より)

きっかけは国道2号の建設

 当初、西宮町役場を市庁舎として利用していましたが手狭であり、新庁舎の建設が望まれたものの、財政的になかなかむずかしく、実現は先延ばしにされていました。

 庁舎建設の大きなきっかけとなったのが昭和2年の阪神国道(現国道二号)の建設です。はじめは旧国道(中国街道)に沿って計画されましたが、家屋密集地を通るのは困難と判断し、農地が多く人家のまばらな省線の南側に定めました。

大正期 六湛寺墓地(海清寺東側)

 ちょうどその位置にあたる六湛寺にあった共同墓地(写真7)を整理し、国道用地として国へ上地することになります。その後この地の発展を見込んで、すべての墓地を満池谷へ移転させ、市の機能を移すことにしました。


財源は酒造家の寄付

8 昭和3年 整備中の前庭、奥には墓地の名残りも

 庁舎を建設するほどの財政的余裕のなかった西宮市に、30万円という私財を投入したのが、第13代辰馬吉左衛門氏(本辰馬家)でした。当時30万円という金額は一年間の市税収入額にあたります。この寄付により新庁舎の建設に向けて動き出します。


 寄付金は22万円を市庁舎、8万円を図書館の建設に充てます。この経緯を記したのが顕彰碑(写真9)です。題字は洋画家・書家である中村不折氏によって書かれています。
9 昭和3年 中村不折が題字を書く庁舎顕彰碑

設計は古塚正治氏

 設計者である古塚正治氏は、阪神間モダニズムを代表する建築家の一人です。市庁舎、図書館のほかに旧八馬汽船株式会社、多聞ビル、西宮市火葬場、塵埃処理場、また大社小学校、大社村役場なども手がけました。
市外では宝塚ホテル、六甲山ホテルなども設計しています。
10 古塚正治設計庁舎平面図

11-1 庁舎建設概要


 満池谷に事務所を開いていた古塚氏は、父親が紅野太郎市長と懇意であったことがきっかけとなり、設計の話を持ち込まれました。それならと、格調高いドイツ建築様式を取り入れた建物にしたといいます。

 将来の交通量の増大を予想し、玄関を国道側ではなく東向きに、玄関広場(ロータリー)をゆったりととり、また外観を美しくするため、島根県から特別に「天黄石」という特殊な石を取り寄せ、外壁に使いました。

11-2 庁舎建設概要


11-3 庁舎建設概要


12 昭和3年 スチーム暖房の完備された事務室

 広々とした庁内はスチーム暖房が完備され、真冬でもワイシャツ姿で事務をとり、昼ともなればスチーム管の上で温めた弁当を食べたといいます。



お墓の中に立った庁舎

 庁舎竣功前、市役所庁舎と墓石が並存しています(写真13)。これら墓石は満池谷墓地へ移転します。
13 昭和3年 お墓に建った庁舎(浅田柳一氏資料)
昭和3年10月29日、新庁舎での執務が始まります。
14-2 昭和3年11月 新庁舎の完成を伝える公報 14-1 昭和3年11月 新庁舎の完成を伝える公報
15 昭和3年11月6日 新庁舎落成式典  16 昭和3年11月6日 新庁舎落成式

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豪華な調度品

17 昭和3年 貴賓室

 貴賓室(写真17~19)など庁舎内の調度品は、寄付金の利息約一万円で購入したと伝えられています。

18 昭和3年 市長室

19 昭和3年 議長室


こぼれ話

20 昭和9年 西宮の歩みを見てきたシンボルツリー

 庁舎前ロータリー中央にソテツの植込みがありました(写真20)。このソテツは久保町の初代西宮市庁舎、すなわち西宮町役場前にあったソテツを移植したものです。昭和46年に新庁舎が建設されるにあたり、北山公園へ再び移されますが、長く庁舎のシンボルツリーとして親しまれました。


庁舎からのながめ 今昔

 写真21は庁舎の屋上から西方向の景色です。中央に茂松寺、その右に広々とした国道を走るクラシックカー、遠くには夙川の松が生い茂り、六甲の山並みも美しく見えます。左には今も健在なイチョウの木、その周辺に墓地が残りますが、住宅も多く建ち並んでいます。

21 昭和3年ごろ 庁舎屋上から見た国道二号と六湛寺墓地



22 昭和40年ごろ 庁舎屋上から見た国道二号

 写真22はそれから40年ほどたった庁舎からのながめです。六甲の山並みは変わりませんが、住宅がさらに密集しているのがわかります。



 建設当初、モダン建築として阪神間に名をはせた庁舎。市域が拡大するとともに業務も職員も増え、庁舎は再び手狭になり、昭和46年、新しい庁舎が建てられました。正面の窓ガラスにはめ込んであったステンドグラスが、現庁舎の玄関吹き抜けの階段を上がったところに移設され、僅かながら面影を残しました。また、寄付を頂いた辰馬家には感謝の意を込めブロンズの庁舎模型を贈りました。
23 面影を伝える庁舎模型

<参考文献>

『阪神間モダニズム』(「阪神間モダニズム」展実行委員会/平成9年10月22日発行)

『第二阪神国道工事誌』(社団法人 近畿建設協会/昭和50年3月発行)

『大社村誌』(大社村誌編纂委員会/昭和11年7月10日発行)

『西宮町誌』(西宮町教育会/大正15年1月30日発行)

『西宮大観』(西宮大観発行所/大正14年4月1日発行)

『大正之西宮』(遠山柿村著/大正3年発行)

『神戸新聞』(昭和46年6月24日)

『西宮市公報』第23号(昭和3年11月20日)

『西宮市政ニュース』第446号(昭和46年3月25日)

『庁内ニュース』(昭和43年3月5日)

『西宮町会議録』

『西宮市会資料』

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