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【甲東園】 甲東梅林

更新日:2021年8月5日

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大正期 岡本の梅林

 阪神間では「岡本梅林」が知られていました。江戸時代「摂津名所図会」に紹介され、また大正末期まで、一目千本といわれるほど多くの梅が咲き誇り、西摂津の梅の名所として、「梅は岡本、桜は吉野、蜜柑紀の国、栗丹波」とうたわれていました。写真1は大正期の岡本梅林の絵はがきです。 
1 大正期 摂津灘岡本梅林(永井悦蔵氏資料)

甲東梅林

2 昭和63年 野点でおもてなし

 西宮にも人々に親しまれている梅林があります。
 甲東梅林は甲東公民館の敷地に、樹齢100年以上の古木を交えた紅梅、白梅など39種の梅200本があり、毎年1月末から咲き始め、2月上旬が見ごろです。 


芝川農園のはじまり

3 甲東園の梅と甲山

 甲東園を開発した芝川又右衛門氏は大阪伏見町生まれ、祖父の代から唐物を扱い、幕末から明治にかけて外国貿易商として財をなし、不動産他多くの事業を手がけていました。



4 甲東園の梅と甲山

 甲東園は旧武庫郡甲東村上大市字山畑新田にあり、明治17年5月、芝川氏が貸金の抵当流れとしてやむを得ず取得した土地でした。この地はとても痩せており、池を掘っても水を保たず、田畑に開墾するのは難しかったようです。果樹ならば何とかなるかもしれないと、ぶどう栽培にたけた河内郡の農夫を招き、ほかに7名の農夫を雇い入れ、明治29年、「甲東農園」ははじまりました。


 昭和19年に刊行された「芝蘭遺芳(しらんいほう)」によれば、開園当初の明治29年2月は夏蜜柑および春蜜柑の苗920本を泉州の農園から購入しています。

5 芝川農園ぶどう畑

 その後、明治30年10月大和土佐町で杉の種子1斗購入し、ぶどう畑周囲に風除けとして移植しました。
11月に河内から招いた農夫からぶどう苗50本を購入
明治31年には丸橋村から
杷旦杏(はたんきょう)苗 120本
林檎苗 150本
杜丹杏(ぼたんきょう)苗 10本
金柑苗 50本
橙苗 20本
大柚苗 10本
サボン苗 10本
朝倉山椒苗 3本
レモン苗 2本
温州蜜柑 40本
扁桃(アーモンド)苗 2本
東京囲い梨苗 117本
そして上海水蜜桃 110本
を購入し、植えつけました。


6 芝川農園



7 農園と防風林

 明治31年ごろから、鑑賞樹の植え付けも始まり、もみ20本、つが20本、槇200本、桜100本、梅50種150本、霧島ツツジ50種、サツキ50種、くちなし100本、芙蓉10本を購入して植えています。4年後、果樹以外はすべて売却することになりましたが、もみ、つが各10本は何とか残され、甲東園の町並木となっています。甲東の梅林はこのとき残されたものと思われます。


阪急電鉄と甲東園

8 昭和47年 文教地区のシンボル くすのき通り

 昭和2年、北側の土地約1万坪が関西学院大学の用地となり、昭和4年、関西学院前から甲東園停留所前に至る道に阪急電鉄が乗合自動車を通すため、甲東園内通路の使用許可を申し出たため、芝川氏が道を整備し、後に学園花通りとなりました。


9 昭和32年 私費で建設 通称「学園花通り」

 明治33年4月、甲東農園は「甲東園」という名称に変更しました。大正10年に阪急電鉄西宝線(現今津線)が通り、大正11年に甲東園に駅が開業した当初、駅名は「甲東園前停留場」としましたが、その後「甲東園」と改称しています。駅よりも山手の芝川農園を「甲東園」としていましたが、停留所付近を甲東園というようになりました。


 また、甲東園一丁目に在住していた建築家浦辺鎮太郎氏は、市政ニュースに「その家はタダの土地にタダで建った」と題したコラムを書いています。
 小林一三翁が甲東園駅を造ったお礼に芝川さんから近辺の広い土地をタダで貰った。これを逸翁は阪急幹部に200坪、300坪と分けて、タダでやってしまった。
「100坪の家を建てなさい。あとは、そのまま残して置けば、きっと高く売れる。君の家はタダで建つよ!」
と言ったとあります。浦辺氏は甲東園開発第一号だった家に住まいしたようです。駅名変遷の由来はこのようなところにあるのかもしれません。

 戦後の農地改革の影響で、甲東園所在の未利用の土地も売却することになり、果樹園も姿を消すことになりました。
10 昭和45年 小倉敬二氏「なつかしの果樹園」(「グラフにしのみや’70」)

甲陵中学校の庭に

11 昭和37年 甲稜中学校の梅林

 昭和22年、甲東園の一角は甲陵中学校となりました。校舎の建設に伴い、運動場内にあった梅の木を道路側の現在地に移植し、梅林としました。昭和37(1962)年に甲東公民館が開館するまで同校の生徒によって潅水、除草等の世話がなされていました。



12 昭和46年 茶摘み

 甲東梅林の通路には生垣としてお茶の木約千株も植えてありました。明治30年に植えられ製茶したものの、西宮の町ではあまり需要がなく生産をやめてしまいます。しかしその木は生き残り、近隣の農家の人が訪れて自家製のお茶を楽しんでいました。
 昭和40年ごろ、県の農林技師が「西の茶所」と折り紙をつけたことをきっかけに地元の婦人会が製茶指導を受け、茶摘を始め、現在も続いています。



13-1 昭和41年 甲東梅びらき

 平成7(1995)年に甲東公民館が改築されたことに伴い、平成9(1997)年に梅林整備を終え、公園施設として装いを新たにしました。


13-2 昭和63年 甲東梅びらき 13-3 昭和63年 甲東梅びらき

<参考文献>

『芝蘭遺芳』(芝川又四郎/昭和19年9月1日)

『千島土地株式会社五十年小史』(千島土地株式会社/昭和37年4月11日)

『神戸新聞』(昭和40年6月11日、昭和41年5月3日)

『市政ニュース』第312号(昭和40年6月25日)

『グラフにしのみや'70』

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