【西宮浜】西宮の漁業と宮じゃこ

更新日:2017年9月1日

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珍重される西宮の魚

 古代より西宮の浜では漁業が盛んにおこなわれていました。海は広田大神が司り、西宮の漁民はその神奴として漁業に従事し、得た魚類は宮中の神事の神饌に献上されました。広田神社の南宮、西宮神社の前で取れる「御前の鯛」も、神前の魚であることにくわえ、「その鯛の形平円、色鮮紅、肉脆白、味わい極めて美なり。佳賞言うべからず世人最もこれを珍とす。(「本朝食鏡」より)」と、賞賛されたようです。

「摂津名所図会」より御前の鯛

 神崎川、武庫川の川尻で盛んにおこなわれた白魚(しろうお)漁ですが、江戸時代、世に知られていたのは今津、西宮の白魚でした。明治・大正も引き続き漁業は行われ、とくにアサリやハゼは他地方のものに比べ、大変美味であると伝えられます。

「日本山海名産図会」より白魚漁の図

 この豊かな漁場を持つ西宮で長く質・量とも最も誇ったのは「イワシ」です。江戸時代中期以降、綿・菜種・藍草など特用作物が栽培されるようになりますが、それを支えたのが魚肥です。イワシは食用としてよりも魚肥・干鰯(ほしか)として重用されました。これにより良質な煮干しを生産する西宮のイワシ漁は一層発展しました。

明治期西宮港の図(永井悦蔵画)

地曳網漁

 中世より広田社の神奴である漁民の漁法を引き継いだ「上方漁法」を、江戸時代初期、関東地方へ伝播させ、関東漁業を盛んにしました。

 イワシ漁には地曳網が用いられました。地曳網漁は主に砲台前付近でよく行われ、指揮船1隻と網船2隻、漁夫は37~38人。指揮者の合図で網を海中に投げ込み、魚群を取り巻き捕獲すると全速力で岸に漕ぎあげます。岸に近づくと、待ち受ける漁夫の家族等が力を合わせて網綱を曳きました。明治以降は浜辺の網曳きにはろくろを使ったようです。

ろくろを使った地曳網の図(永井悦蔵画)

 ろくろの巻き込みには独特のかけ声があり、最初は 「エンサア、エンサア」、次に「オエンターン、オエンターン」になり、さらにその間隔が詰まってくると、地曳網が浜に近づいてきた印です。声の調子を聞き分けた近在の主婦らがバケツやざるを提げて浜に集まり、網寄せを手伝います。「いるだけ持っていきや」と加勢の礼に気前よくイワシをすくって分けてくれたといいます。

昭和30年頃 漁船

 文政年間には地曳網よりさらに規模の大きい大網と呼ばれた網が用いられ、1艘に70~80人乗り込んだ大船3~4艘に小舟がそれぞれ3~4艘従ったといい、盛況な様子がうかがえます。海産に富んでいた西宮の海ですが、明治中期以後、機械工業の発達とともに衰えを見せたとはいえ、「宮じゃこ」は市場で高価に取引されており、昭和30年代でも漁業は盛んだったといえるでしょう。

昭和29年 定置網とはえ縄

 昭和30年代の漁法は定置網、地曳網、採貝はえ縄、打瀬(うたせ)、巾着です。はえ縄が貝類・ハゼ・カレイ、巾着はえびを採取し、それ以外はイワシ漁用に使われています。

昭和30年頃 魚網を片付ける
昭和32年 魚網をおろす
昭和30年頃 魚網を干す

 イワシを収穫する網漁業では、網元が漁夫を雇い入れ、操業していました。西宮付近だけではまかなえず、岡山、広島から雇い入れることが多かったようです。昭和30年代でも200人~300人の漁夫がおり、網元の経営する旅館(写真中央建物後ろの木造3階建)に寝泊りしたといいます。

昭和33年 網元の経営する旅館

宮じゃこ

 新鮮なイワシはトロ箱に入れ自転車の後ろへ括り付けられ、「ててかむいわしやで~」と街中へ売りにでます。「ててかむいわし」とは手に噛み付くほど新鮮だという売りことばです。また煮干にする以外の魚は東町の浜辺にあった魚市場へ舟で運ばれ、セリにかけられました。

昭和30年 セイロのイワシ

 一網入れると千貫ものイワシがとれたことから、西宮の浜は別称千貫地浜ともいいました。とれたてのイワシをセイロに入れ、湯につけてさっと湯がき、そのまま浜辺一面に並べて干します。

昭和35年 「宮じゃこ」天日干し

 イワシは「弱し」がなまったものといわれるほど、鮮度の落ちるのが早い魚です。鮮度の落ちたイワシは、煮ると腹が裂けて反り返り味も悪く、新鮮なものは光沢があり、腹を中にしてお辞儀をするように曲がるといいます。秋口の製品はとくに良質であることから「宮じゃこ」と呼ばれました。

昭和37年 「宮じゃこ」天日干し

西宮港

 明治以降、機械工業、化学工業の発達に伴い、海岸地帯が工業地域に移り変わるとともに、漁獲量を徐々に減らしていた西宮の漁場ですが、さらに海水汚染が進み、昭和40年に海水浴場が閉鎖されます。以後、西宮・尼崎・芦屋・神戸の漁業組合が相次いで解散し、昭和48年には前年まで34軒あった漁業経営者も2軒となって、「宮じゃこ」を干す風景は見られなくなりました。

大正14年 漁船がひしめき合う西宮港

 かつて、多くの漁船が係留された住吉神社前は、津波対策として水門が建設され、洗戎川の延長となり、港湾ではなくなるようです。

昭和30年代 西宮港

参考文献

『西宮市史第2巻』
『日本山海名産名物図会』『西宮大観』
『西宮町誌』
『ふるさと春秋』
『市勢要覧』1955
『西宮市統計書』1974・1975

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