石井市長の"てくて句歳時記"
更新日:2025年9月10日
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てくて句歳時記
令和7年9月
廣田神社から南西方向の小高い丘の、現在大社小学校が立つ地には、戦国時代に本格的な城郭建築を備えた越水城がありました。この地は、1351年に足利尊氏が陣所を構えたとされ、1519年に瓦林正頼によって築城され、天下人とも言われた武将・三好長慶が居城としました。
三好一族は今の徳島県にあたる阿波出身ですが、三好長慶は1560年頃には畿内五国にまで勢力を広げ、京の都をも掌握しました。その長慶が越水城を当初居城としたのは、阿波を背後にしながら、京都だけでなく商都の堺を手中に収めるために最適と考えたからでしょう。
「越水」の名は「小清水」からきており、水がこんこんと湧く、生活に不可欠な水が豊かな地でもあったそうです。城は現在の「城山」「桜谷町」「満池谷町」「清水町」にわたっていたとされ、相当大きな城だったようです。
長慶亡き後、三好家は衰退し、越水城は役割を終えますが、今も「城山」という地名が残っているのは、越水城の名残です。
長慶は、歌や茶にも理解ある文化人であったともいわれています。甲山や西宮の海を見渡しながら、この地で文化をたしなみつつ、天下を見据えていたのでしょう。
≪写真≫大社小学校前にある越水城跡の石碑
バックナンバー
- 令和7年8月(秋蛍 祈る平和や ニテコ池)
- 令和7年7月(夕焼けや 勤め新たに 赤胴車)
- 令和7年6月(白龍や 武庫大橋に 雲の峰)
- 令和7年5月(足裏に 泥がにゅるりと 初田植え)
- 令和7年4月(見据えしは 次の百年 宮の春)
- 令和7年3月(人々の のぞみはこびて 桜舞う)
- 令和7年2月(甑岩 鎮座の杜の 藪椿)
- 令和6年12月(ふゆあかり 三十年を 支え合い)
- 令和6年11月(市をつなぐ 橋上駅や 天高し)
- 令和6年10月(行列は 万葉衣装 秋まつり)
- 令和6年9月(睡蓮や 甲陽園の 大池に)
- 令和6年8月(歓声や 山ふところの 水遊び)
- 令和6年7月(鳴尾なる 一本松へ 南風)
- 令和6年6月(花卯木 かむさるように 百間樋)
- 令和6年5月(青蛙 はぐくみ継ぎて 学び舎に)
- 令和6年4月(晴れ渡る 廣田の山に つつじ咲く)
- 令和6年3月(若鮎や 生瀬トンネル 開通す)
- 令和6年2月(雪解風 きづなつむぎて 復興へ)
- 令和5年12月(北おろし まちと人とを 育みて)
- 令和5年11月(朝焼けの 沖からきたる 百合鴎)
- 令和5年10月(天平の 空からきたか 鬼やんま)
- 令和5年9月(学文の 坂本ですが 鳥渡る)
- 令和5年8月(いにしへの あの夏空を 忘れまじ )
- 令和5年7月(夏空に 塔屋の威風 六角堂 )
- 令和5年6月(北山の 花木喜ぶ 梅雨の空)
- 令和5年5月(一望の いちご畑や 鳴尾村)
- 令和5年4月(浜大根 咲いて鳥待つ 人を待つ)
- 令和5年3月(先人の 思いをつなぐ 桜かな)
- 令和5年2月(鳥も木も 頬を緩める 梅の花)
- 令和4年12月(落葉掃き 我がまち思う 宮っ子ら)
- 令和4年11月(時超えて 町を見守る 紅葉山)
- 令和4年10月(芸術の 秋を市民と 半世紀)
- 令和4年9月(学び舎に 子等の育てし 稲香る)
- 令和4年8月(ひたむきに 白球を追う 夏の空)
- 令和4年7月(海猫と 永遠の少年 帰還せり)
- 令和4年6月(思ひのせ 蘭学のみち 蛍舞ふ)
※西宮市政ニュース令和4年6月からおおむね月1回掲載
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