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戦争体験談「少年兵のことを心から考えてくれた上官」

更新日:2018年2月23日

ページ番号:93113239

少年兵のことを心から考えてくれた上官


久保田 英三


 私は15歳の半ばに海軍甲種予科練習生になりました。昭和19年9月です。三重海軍航空隊に入隊して、はじめの3ヶ月は正規の予科練の教育でしたが、12月にはいると隊の半分1,500人は電灯も消された真っ暗な汽車で移動させられ、着いた所は高知の浦戸でした。私達はかすかな噂で日本海軍の零戦は特攻攻撃に使われてもうないらしいと聞いて、飛行機に乗る夢を絶たれていました。それなのに新設途中の浦戸航空隊に到着したのでした。ここで何をさせられるのかと不安で一杯でした。

 その後に松山航空隊から私達より半年前に入隊の甲14期生1,500人、20年3月に甲16期600人、それと教官、兵員で4,500人の大部隊になっていました。

 そんな4月のある日、全員が集められて先任分隊長大尉殿の講話がありました。内容は全員がたこ壺に潜んで敵の戦車が上陸したら、そのキャタピラーに爆弾を突っ込むのだというお話しでした。これで我々大勢がはるばる高知までつれて来られた理由がわかりました。大尉は私達に引導を渡したのです。大尉は「然し!」と最後に言いました。上がって来る戦車がM4型なら、どんな爆弾でもあのキャタピラーは破壊出来ない。それで講話は終わりました。皆は声も無く散会しました。私はそんなに工業力に差があるアメリカとの戦争は負けているのではないか、と思ったのです。

 その後、浦戸航空隊の4,500人は四国山脈の地下に長い地下壕を掘って地下兵舎を作るためにわかれて行きました。

 7月15日に呉鎮守府(当時の海軍のトップ機関)からの命令で浦戸海軍航空隊は、呉鎮第十一特別陸戦隊となりました。特別というのは小銃も無く、手榴弾2発だけの武装であるからでしょう。

 8月6日と9日に広島と長崎に原爆が落とされ、後4発が残っていると知らされました。8月15日正午に天皇陛下のポツダム宣言受諾の玉音放送を小学校の校庭で聴きました。

 戦後しばらく経ってアメリカ軍が当時の戦略を発表し、それは日本本土の攻撃として20年10月末に高知に上陸のパステル作戦、11月1日に鹿児島へオリンピック作戦、21年3月に九十九里浜と相模湾へコロネット作戦を立てていたという事でした。阿南陸相たちの徹底抗戦の掛け声で、もし終戦が遅れていれば、パステル作戦で私達の頭上に3発目の原爆が炸裂したかも知れません。

 それと腹の据わった先任大尉が居られたことを感謝しています。昭和20年4月、神州不滅を叫び、撃ちてし止まんの意気に日本中が燃えていたあの時期の大尉の講話を思い出します。練習生には真実を伝えなければならない。見せかけの元気で煽る事は出来ないと心を決しての講話であったと思います。

 大尉殿の一言で戦争の実状を知りました。戦争が終わるのをほぼ予感しましたから、終戦の詔勅を聞いて騒ぎはしませんでした。他の航空隊では司令が徹底抗戦を唱えた所もあり、所によっては混乱した航空隊もあったようですが、浦戸航空隊は皆静かに除隊になる日を待っていました。

 戦後50年も経って当時の事を思い出し、大尉殿に手紙を出しましたが、御家族から昨年お手紙を頂き、10年ほど前に骨髄症でお亡くなりになったとの事。心から哀悼をささげます。生前は軍人恩給を一切お受けにならなかったそうです。本当に偉い方でした。岩崎巌海軍大尉殿でした。

平成28年11月1日寄稿


写真「昭和19年9月15日入隊式、教育主任と各分隊長」

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