平和への思いを受け継ぐ
戦争体験談から学ぶ平和の大切さ

平和への思いを受け継ぐ/戦争体験談から学ぶ平和の大切さ

終戦80年を迎え、戦争を知らない人が大半となった今、戦争を体験していない世代の人たちも過去の戦争について知り、平和の大切さを再確認することが大切です。今号では、当時から市内に住む戦争体験者に戦争の悲惨さや平和への思いについてインタビューをしました。この機会に、平和について改めて考えてみませんか。

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戦争体験談

写真:樋口 仁三さん(95)
樋口 仁三さん(95)

昭和16年(1941年)、11歳の時に太平洋戦争が始まり、15歳となる昭和20年(1945年)に終戦。学徒動員先の工場や自宅で実際に爆撃機・戦闘機からの攻撃を体験した

戦争の始まりと生活の変化

太平洋戦争が始まった昭和16年、当時私は11歳でした。ラジオや新聞で戦争の状況が報じられ、大きな事態になったとは感じましたが、食事に困ることはなく、すぐには影響を受けませんでした。しかし、戦争が進むにつれて生活はどんどん変わっていきました。食料や衣服などの物資は配給制となり、配給の切符と引き換えにもらうようになりました。暖をとるための炭の配給は、家の畳の数で決められていました。戦争が進むにつれて、配給の量は少なくなっていきました。
14歳から15歳の頃に学徒動員がかかり、大阪の西淀川の工場で働くことになりました。そこでは、飛行機に載せる整備用品を箱に詰める作業を行っていました。ある日工場で勤務していると、B29(爆撃機)から焼夷弾(しょういだん)を落とされたことがありました。工場で働いていた人たちと必死に防空壕(ぼうくうごう)へ逃げ込み、何とか助かりはしましたが、外に出て周りを見渡すと、工場は焼け、鉄くずの山となったのです。
昭和20年7月頃には、当時の宍粟郡に疎開していた弟の面会に向かいました。山陽電車に乗り、姫路駅に行くと、駅の周りは焼け野原となっていました。これまで新聞でしか見たことのなかった戦争の惨状を初めて自分の目で見て、とても恐ろしく感じたことは今でも忘れられません。

西宮での空襲体験

西宮の空襲が始まる少し前に戦闘機による攻撃を体験しました。高射砲陣地(B29を迎撃するために高射砲を配置した場所)を破壊するための攻撃でしたが、私の自宅が高射砲陣地と戦闘機の直線上にあったため、屋根を撃ち抜かれて穴が開き、鬼瓦の一部が撃ち落とされたのです。

写真:左側の鬼瓦が撃ち落とされた。穴が開いた屋根はトタンで修繕
左側の鬼瓦が撃ち落とされた。穴が開いた屋根はトタンで修繕

迫る戦闘機に恐怖を感じながらも、庭先の防空壕に姉と一緒に避難ができたため無事でした。様子を伺うため、少し外に顔を出したとき、戦闘機の操縦士と目が合ったような気がしました。
その後すぐに、西宮への空襲が始まるようになりました。当時は昼夜問わず警戒警報が鳴っており、空襲警報に切り替わるとすぐ防空壕へ逃げ込むような日々が続いていました。8月5・6日の空襲の際には、西の方から花火のように、そして雨のような音を立てて焼夷弾が落下しており、そのうち鳴尾地区にも落下し始めました。身の危険を感じて武庫川堤防上に避難している途中で私の家の近くにも焼夷弾が落下し、寺や周辺の民家などの各所が炎上していました。その後、全国各地の空襲被害や、広島・長崎での原子爆弾のことをラジオや新聞で知りました。

終戦とその後

終戦の1日前には、B29からビラが落とされ、そこには日本がポツダム宣言を受諾し、敗戦した旨の記載がありました。最初はどうせデマだろうと思っていましたが、翌日、農家の叔母の家にご飯を食べに行った際、天皇陛下による玉音放送がラジオから流れ、本当に日本が敗戦したのだと知りました。
終戦を知ったとき、まず「やっと夜に安心して休める」と思いました。戦争中は警報が鳴り響き、いつ攻撃を受けるか分からず、まともに休めた日がありませんでした。戦争が終わり、元の生活に戻ることができるということで心からほっとしました。一緒に放送を聞いていた叔母は、出征した叔父が帰ってくることを大変うれしそうにしていましたが、結局叔父が生きて帰ってくることはありませんでした。

若い世代に伝えたいこと

私の叔母に起こったようなことは決して特別な出来事でなく、当時日本中であったことです。二度とこんな悲しいことが起こらないでほしいと心から願っています。
そのためには、どの世代の人にも戦争について知ってほしいです。そして自分の周りの人に愛情を持って接してほしいのです。平和について考える上で、人に優しく接することが、最も根本的で大切なことだと私は信じています。


体験談を募集しています

戦争の悲惨さ、平和の大切さを後世に伝えるため、戦争にまつわる体験談を貴重な資料として収集・保存しています。体験談を寄稿いただける人は、人権平和推進課にお問い合わせください。
これまでに寄稿いただいた戦争体験談は、市のホームページ(戦争の記憶~受け継がれる想い~)に掲載しています

戦争体験談を動画で公開

戦争体験者本人に、当時の様子や今の思いを語ってもらった動画を市公式YouTubeに公開しています。ぜひご覧ください

平和資料館

教育文化センター(川添町)内にある平和資料館では、寄贈いただいた戦災資料やパネルを展示・解説しています。

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午前10時~午後5時(月曜休館)
【問合せ】
0798・33・2086

市は、昭和58年(1983年)12月10日に「平和非核都市」を宣言し、原水爆禁止西宮市協議会と協働で、世界平和の実現に向けた事業を行っています。

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