多文化共生を考える
見えない線を消して見えてきたものとは
兵庫県立大学准教授 乾美紀

皆さんの家庭で、多文化共生について話題にのぼることはありますか。世界情勢を伝えるニュースなどで、信仰や民族の違いが取り上げられることが多くなったため、私たちも多文化に敏感になっているかもしれません。


そもそも、多文化共生とは、国籍や文化が多様にある状況を前提として、共生を試みることです。でも、よく考えると国籍で人を見ることは必要でしょうか?国籍というくくりにとらわれすぎると、大事なことを見逃してしまいます。


先日、私と息子が大好きなお笑い芸人がテレビに出ていた時、息子が「あの人、日本人じゃないねんて」と言いました。その時、「そうなんや、でもお笑いに国籍なんて関係ないよね!」という言葉が私の口から自然と出てきて、ふと我に返りました。最近では、外国にルーツを持つ日本代表のスポーツ選手も次々と登場しています。お笑いにもスポーツにも国境はなく、正直に、人間として賞賛し尊敬の念を抱くべきだと気づきました。


私たちは人々を国籍でステレオタイプ化(※集団やカテゴリーに属する人たちに対して、人々が持っているイメージなどを当てはめること)する傾向がありますが、それが間違いと気づいたこともありました。日韓関係がぎこちない中、釜山に行った時、日本人は好印象を持たれていないのではと不安だったのですが、街角でも大学でも優しい心に触れるばかりでした。その時、大切なことは国籍ではなく人間対人間なのだと思いました。国境はたまたま引かれたものであり、その見えない線を消してみれば、スムーズに人とつながれると認識できたのです。


「異文化間トレランス」という言葉があります。異なるものに対する寛容性のことなのですが、これが高くなるほど多文化社会で生きやすくなります。まさに線引きをせずに、人間を見ることです。違いにとらわれず、寛容に接することができる人は、グローバル社会で必要な、人と人との橋渡しができる貴重な人材となります。皆さんも、家族や友達との何気ない会話から、多文化社会での生き方について考えてみませんか。


【問合せ】秘書課(0798・35・3459)

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