これからも東北の復興を支援します
復興へ向かう全ての過程をリレーで支援
被災地での経験を西宮で生かす

東日本大震災から5年


阪神・淡路大震災から21年が経過し、災害対応の知見の継承が必要とされる中、被災地支援は市職員にとって貴重な経験
東日本大震災発生から5年が経過しますが、太平洋沿岸部の被災地では今も復興へ道半ばの状況です。本市は、震災直後から5年間継続して宮城県女川町・南三陸町へ延べ56人の職員を中長期で派遣し復興を支援しています。
ここでは、両町の復興の状況と派遣職員の活躍ぶり、そして積み上げてきた経験を通じて、被災地支援を継続していく意義をお伝えします。

女川町

写真:被災直後の市街地
被災直後の市街地
サンマなど豊かな水揚げを誇る女川漁港を有する、三陸の海岸や島などの美しい自然に恵まれた町です。震災で約7割の家屋が失われ、827人が犠牲になりました。
写真:JR女川駅(写真中央奥)前の、かさ上げされた市街地に店舗が次々と建設、にぎわいが戻り始める
JR女川駅(写真中央奥)前の、かさ上げされた市街地に店舗が次々と建設、にぎわいが戻り始める
今、女川で何を思うか。~町民の生活再建を願い、スピード感を意識して
より若い世代へ伝える
写真:福嶋明(H24年4月~25年9月、27年10月~女川町派遣)
福嶋明(H24年4月~25年9月、
27年10月~女川町派遣)
復興まちづくりの要となる区画整理を進める中で、住民の思いをくみながら代替の土地を割り当てる「換地」の調整等を担当。全体のスケジュールに追い立てられる毎日だが、「工程が遅れると、それだけ不便な仮設住宅暮らしの期間が長くなるから、スピード感が大事だ」と語る。
「西宮で災害が起きたときに、復興事業の全体像を知る職員がいることは西宮の財産になる。災害から素早く立ち上り、先を見据えて段取りよく復興事業を展開していくことができる」と、自らの経験をより若い世代に伝えていくつもりだ。
大きな重圧とやりがい
写真:川口秀樹(H27年4月~女川町派遣)
川口秀樹(H27年4月~女川町派遣)
道路や宅地造成などの工事が一気に進んでいく中で、県や関係機関との調整などを担当。まさに「今まで図面でしか見たことがないものが形になっていく」ような大規模で西宮では経験したことのない工事を次々とこなしていく。
復興事業は多くの事業が複雑に関係しているため、「ひとつが崩れると全てのスケジュールが遅れてしまう」。そうした状況から、大きなプレッシャーとやりがいを同時に感じながら、関係者と常に連絡をとって慎重に調整を進めるとともに想定外のことが生じても遅れが出ないよう対策を考える日々が続く。
写真:高台に再建された住宅の向こうに、宅地や商業地などの整備が待たれるエリアが広がる
高台に再建された住宅の向こうに、宅地や商業地などの整備が待たれるエリアが広がる
写真:復興へ向かう町のシンボル「女川駅前商業エリア」には町内外から人が集う
復興へ向かう町のシンボル「女川駅前商業エリア」には町内外から人が集う
震災直後から2年8カ月の長期派遣
やり遂げた自信
写真:西尾久和(H23年8月~26年3月に女川町派遣)
西尾久和(H23年8月~
26年3月に女川町派遣)
派遣職員は皆で、復興という同じ目標へ向かって、それぞれに与えられた任務(復興事業の計画、女川駅舎をつくり鉄道を復旧させる協定、造成地をつくるための協議、道路の付け替えなど)を熱意を持ってやり遂げた。
「任務をやり遂げた達成感があるからこそ、西宮に帰ってからも課題解決のモチベーシ ョンが高く、負けずにやり遂げる気持ちを持って臨んでいる」と、業務に取り組む姿勢の変化を強調する。それぞれの業務は、大規模で西宮ではできない経験であると同時にスピード感を要求される。「その早さについていけた自信は、西宮に帰ってからも生かされている」。
女川からの声
女川と西宮の交流を
写真:石森洋悦さん(女川魚市場買受人協同組合副理事長)
石森洋悦さん
(女川魚市場買受人協同組合副理事長)
女川で水産業のリーダー的存在である石森洋悦さんは「震災で日常が壊れてしまったことで、魚市場がまちのなりわいの源泉だと気づいた」と語る。そこから懸命に走り続け、一昨年には震災前の水揚げに戻すことができた。今年は新たな魚市場が完成するが、全国の皆さんへの恩返しとして水揚げの様子が見られる見学者コースも設置する。 「再生していく女川のまちにたくさんの人に来てほしい。西宮の中高生に被災地である女川を現実に見て学んでもらい、次世代の人材を育成する協力もしていきたい」と女川と西宮の交流を願う。
写真:活気あふれる魚市場はなりわいの源泉
活気あふれる魚市場はなりわいの源泉
派遣職員の活躍伝えたい
写真:町役場の柳沼さん(復興推進課参事)
町役場の柳沼さん(復興推進課参事)
水産加工団地や商業用地の整備が順調に進み、町中心部の女川駅周辺エリアでは昨年12月に「まちびらき」を行うことができた。その一方で住宅整備の進捗率は約3割で、復興事業のピークは来年から再来年となる。「派遣職員が仮設住宅などで住宅再建を待つ方々の思いをくみ、使命感・スピード感を持って本当に真面目に夜遅くまで業務に励む姿を見ると頭の下がる思い」であり、「女川のまちは派遣職員の知恵や汗や涙が積み重なって形になったもの」と深い謝意を語る。

南三陸町

写真:被災直後の市街地
被災直後の市街地
太平洋に面したサケ漁やカキの養殖など漁業が盛んで、海・山の美しい自然に恵まれた町です。震災により市街地のほとんどが流出し、832人が犠牲になりました。
写真:市街地等をかさ上げするための仮設の盛り土が点在。これから一気にまちの姿が変わっていく
市街地等をかさ上げするための仮設の盛り土が点在。これから一気にまちの姿が変わっていく
今、南三陸で何を思うか。~町民の切なる願いに寄り添い、まちの未来を思い描いて
広がる阪神・淡路の経験
写真:平岡和博(H27年4月~南三陸町派遣)
平岡和博
(H27年4月~南三陸町派遣)
高台団地の359宅地50ヘクタールの造成を担当するが、その規模は「土木職員として後にも先にも経験することはない」と語るほど。まちづくりの経験豊かなUR都市機構と協働して事業を進める中、事業計画の作成やプレゼンテーションの方法など刺激を受けることが多く、住民の合意形成を進める場面でもURの持つノウハウに触れることは大きな経験となっている。
また、阪神・淡路大震災からの復興事業も経験したが、ゼロからまちをつくり直す東日本大震災とは大きく質が異なり、「双方の復興事業に携って経験の幅が大きく広がった」と手応えを感じる。
タフになれたと実感
写真:山北真義(H27年4月~南三陸町派遣)
山北真義
(H27年4月~南三陸町派遣)
多くの職員が亡くなった町役場で、西宮では業務経験のなかった児童手当など複数の業務を単独で担う。着任当日から次々に仕事が舞い込む中、関係法令や事務記録などを読みあさって何とか業務をこなしていった。現在も、仕事の全体を捉え、先々を意識して処理にあたるなど創意工夫を重ねつつ、日々懸命に業務に取り組んでいる。
「広範で膨大な業務を単独でこなしてきた経験から、あらゆる困難にも冷静に対応できるようになった」と成長を実感する。
写真:被災した小学校の新校舎が昨年秋に完成。現在も児童は仮設住宅等からスクールバスで登校してくる
被災した小学校の新校舎が昨年秋に完成。現在も
児童は仮設住宅等からスクールバスで登校してくる
写真:水産業の中核として期待される「南三陸町地方卸売市場」は急ピッチで建設が進む
水産業の中核として期待される「南三陸町
地方卸売市場」は急ピッチで建設が進む
写真:海を望む高台に建設中の災害公営住宅は間もなく完成予定。奥に見えるのは再建された小学校
海を望む高台に建設中の災害公営住宅は間もなく完成予定。奥に見えるのは再建された小学校
震災直後、長期派遣の第一陣
未来へつなげていく
写真:畑文隆(H23年6月~24年9月に南三陸町派遣)
畑文隆(H23年6月~
24年9月に南三陸町派遣)
復興へ向けたマスタープラン「南三陸町震災復興計画」の策定において中心的な役割を担った。前例が全くない中で、住民や学識経験者、国県の関係者などから意見を聞き、伝え、まとめあげることをさまざまな場面でやり続けた。「この場でこの人に必ず伝えなければならない」プレッシャーの連続であり、コミュニケーションの「物凄いトレーニング」となった。
計画策定にあたって、コミュニティの中で住民が孤立しない方法を考え、人が集まり関わり続ける仕組みを思い描いてまちの基盤を考えてきたことは、西宮の「未来につながるまちづくり」に生きてくる。
南三陸からの声
心から感謝
写真:町役場の遠藤さん(復興市街地整備課係長)
町役場の遠藤さん
(復興市街地整備課係長)
高台団地の宅地や災害公営住宅が年内に完成予定であり、ようやく住居整備の見通しがたってきた。学校や病院などの公共施設も再建され、本設の魚市場も今夏に完成する予定。一方で、商業用地等が入る市街地の整備は平成30年の完成を目指している。
西宮市からの派遣職員は、多くの重要な課題の解決に「なくてはならない存在」となっており、「震災直後から西宮の市民の皆さんから多くの支援を頂いたこと、現在も貴重な職員の派遣に理解を頂いていることに心から感謝しています」と語る。
悲しみ乗り越え力強く
写真:及川善祐さん(南三陸さんさん商店街初代組合長)
及川善祐さん
(南三陸さんさん商店街初代組合長)
「無我夢中のまま5年が経ち、よくここまで復興したとの思いと、まだまだとの思いが共存している」と、震災直後に「南三陸さんさん商店街」を立ち上げた初代組合長の及川善祐さんは語る。来年には仮設の商店街から仲間とともに本設の商店街に移るが、町からの流出人口は5000人(元の人口の約3分の1)と言われる中、交流人口を増やす必要を感じる。そのために、「南三陸の売り物は“人”だと言えるよう、力強く未来に向けて歩み続けたい」。そして、防災に強いまちをつくり、「見る価値・学ぶ価値がある、被災地の中でナンバーワンのまち」を目指している。
写真:仮設店舗が並ぶ「南三陸さんさん商店街」
仮設店舗が並ぶ「南三陸さんさん商店街」

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