No.10 1992.1.1


農作業にはく革くつ「綱貫」

井阪康二

1.革ぐつをはいて農作業をした
江戸時代後期に農家の人たちが、皮ぐつをはいて農作業をしていたと言いますと、皮ぐつ、なんともったいないとおどろかれると思います。
それが文政5年(1822)に書かれた『農具便利論』と言う本に、畿内地方の農家の人たちは、冬の間、ツナヌキ(綱貫)とよばれる皮ぐつをはいて農作業をしていたと出ています。そして、これは農家の人たちばかりでなく、京都や大阪の都会でも、魚屋、八百屋、馬方、商家にやとわれている人まで、はいていたとあります。
どうしてツナヌキをはいたのかということです。それは冬に農作業をするのは足が冷たくて、つらいからであります。また雨の日は雨ぐつとしても使われました。そのことを同書は「寒中には晴雨にかかわらず、わらじをはかないで、この綱貫をはいている。農民は畑仕事はいうまでもなく少々の道のりを行ったり来たりするときや雨の日にはいたりしている。このように、日用の用具なのである。」と書いています。江戸時代後期、西宮の農家の人たちもツナヌキをはいて農作業をしていました。それは文政13年(1830)に書かれた『桜戸雑話』(西宮の町人、阪倉信明著の随筆)に出ています。それではツナヌキとはどのようなくつなのでしょうか。

2.ツナヌキ(綱貫)とは
当郷土資料館展示室に巾着のような形をした皮ぐつを展示しています。これがツナヌキです。
材料は、猪・鹿・熊:牛の皮が使われました。中でも猪の皮でつくったツナヌキは丈夫でながもちしたようです。また三重県飯南郡森村では、狩りでとった猪のおおきさをツナヌキ何足分といってあらわします。
ツナヌキをつくるのは、皮を20センチメートル×50センチメートルの長方形に切ります。そして長方形の皮の三辺に多くの穴をあけ、これにひもを通して引きしぼり、足の甲があたる部分にします。くつの形が巾着のようなので、キンチャクグツともよばれています。
ツナヌキは古語のツラヌキが変化したものです。ツラヌキは平安時代からある言葉で、室町時代以後はツナヌキとよばれるようになりました。
この皮ぐつをツナヌキとよぶ理由に、二つの解釈があります。
一つは狩りで獲物をとった、そのてがらを記念して、獲物の顔をくつにしたので、ツラヌキ(面貫)とよんだと言われています。(柳田国男著 『村のすがた』)
二つは1枚の皮に多くの穴をあけ、これにひもを通して引きしぼってつくることから、綱を貫すのでツナヌキ(綱貫)とよばれるようになったと言います。(『農具便利論』)
さて、どちらが本来の意味でしょうか。

3.ツナヌキはぜいたく品か
江戸時代後期、ツナヌキは畿内地方に広くいきわたっていたようです。しかし、農家の人たちがこれをはいて農作業をするのは、少しぜいたくのように、他の人たちはみていたようです。前に紹介しました『桜戸雑話』の著者も、昔、西宮の土地の風習は何かにつけて質素であった。しかし、近年はそれがはでになりつつあると言っています。その一つの例として、昔の農家の人たちは農作業に出るのに、足半ぞうりか、わらじをはいて行きました。今は冬になると、雪国の人が雪ぐつをはくようにツナヌキをはいて行くようになったことをあげています。
当時の人たちはツナヌキをぜいたく品と思っていたようです。やはり『農具便利論』の著者も、ツナヌキをはくのは一見ぜいたくなように思えるが、決してそうではないと強調して言っています。そして、ツナヌキは冬の農作業をするのにはどうしても必要なものであると農民がかたっているのを同書はのせています。少し長くなりますがお付き合い下さい。
それは、ツナヌキは9月末から翌年の3月までの農作業に2足は必要なので、1足8匁で2足で16匁が一冬の出費となります。わらじをはいて同じ期間、農作業をすれば、わらじ代金に8匁がいります。その上に冬の農作業は足が冷えるので、たびが必要になります。そのたび代は8匁となります。わらじとたびの代金を合計すれば、ツナヌキの代金と変わらないと言っています。そして、ツナヌキをはいて農作業をすれば能率も上がり、それを一年、一生という長い目でみれば得であると、次のように語っています。「出費は同じだが、綱貫なら寒さや雨をしのいでくれ、冬の朝など早く起きて畑に出ても足のこごえることがないから、おのずと仕事もはかどるというものだ。わらじをはいて出るならば、すこし日が高くなって暖かになるころを見はからってでなければ仕事にならない。たった一日ではふたつの差はわすかだが、一年あるいは一生の間も積もり積もれば大変な差となる。
それに、毎日足を洗う湯水もいらないようになにかにつけて有益なので、これを用いない人があろうか」とあります。
『農具便利論』の著者もこの話を聞いてから、雨の日にツナヌキをはくと本当に便利なので毎年買いかえて使っていると書いています。
文政頃には、ツナヌキは畿内地方で農作業の日用品として使われていますが、これを使う人や、それ以外の人からみれば、ツナヌキはぜいたく品かな、という気持ちが心のどこかに残っていたようです。

4.ツナヌキはいつ頃まではかれていたか
明治時代もよく使われていました。『下大市の民俗』にツナヌキは老人がよくはいていた。西宮の戎神社の前、本町筋に新暦11月20日のセイモンバライ(誓文払い)の日にツナヌキの店が出て、安く買えるので、毎年この日に目方でツナヌキを買ってかえったとあります。(明治40年生の方の話)
この11月20日のセイモンバライのようすは、戎神社の南門前から本町筋の両側にツナヌキを売る店が市のように立った。そして四里四方の百姓さんが買いに来て、にぎやかであった。しかし、日露戦争後(1905)の軍靴の払い下げの影響を受けて、この日にツナヌキを売る店も少なくなったとあります。(柳生健吉稿「明治時代のもの売りの声」<『
西宮文化』第9号>)日用品としてのツナヌキも、日露戦争後の軍靴の払い下げ品が出回るのを境に、これを使う人も少なくなってきました。

参考文献
『日本農業全書』第15巻 農山漁村文化協会 昭和57年9月
日本常民文化研究所編 『日本の民具』角川書店刊 昭和33年1月
『総合日本民俗語彙』平凡社
『柳田国男集』第21巻 筑摩書房

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