西宮津門の見どころ
12 松原神社・染殿池
(まつばらじんじゃ・そめどのいけ)
染殿池
染殿池
  万葉集に高市連黒人(たかいちのむらじくろひと)が

吾妹子(わがもこ)に 猪名野(いなの)は見せつ 名次山(なすきやま)
角(つぬ)の松原 いつか示さむ

と、大伴旅人(おおとものたびと)の供の者が

海少女(あまおとめ) 漁(いさ)り焚(た)く 火のおぼほしく
都努(つぬ)の松原 思もほゆるかも

と詠(よ)んだ角や都努は「つの」のことです。市役所付近が湾に浮かぶ島であった時代、その湾に東のほうから角のように美しい松原の砂嘴(さし)があり、その西の端が今の松原神社のあたりだと考えられています。
 その頃は風光明媚(めいび)な観光地として有名だったのでしょうが、それだけではないのです。「つの」は「つと(津門)」に通じます。津は港、門は入り口、すなわち港としても栄えていました。この地に織姫伝承が残っていることからもそれが伺(うかが)えます。
 応神(おうじん)天皇の御世(みよ)、呉の国から2人の工女、綾織(あやはとり)と呉織(くれはとり)が阿知使主(あらのおみ)に連れられ、ここにたどり着いた時、天皇が亡くなられたことを知らされ、この地に留まり、神社の向かい側にある池、染殿池(そめどのいけ)で糸を染めて布を織ったというものです。
 これは4世紀の頃、朝廷が大陸より技術者を招いていた時の玄関口だったことを示す伝承です。
 古くから津門首(つとのおびと)という大豪族が住んでいたこともあり、神社も栄えていましたが、暴れ川の夙川や東川が土砂を運び込むようになり、徐々に港としての機能を果たせなくなるに従い、神社も衰えてきました。しかし、何時の頃からか、九州の大宰府に流される途中に美しい松原を眺めて休息したといわれる菅原道真が祭神となり、松原天神として親しまれるようになりました。
前のページへ とじる 次のページへ