西宮津門の見どころ
10 六湛寺の歴史(ろくたんじのれきし)
海清寺
 鎌倉時代、武士から厚い信仰を得たのが、禅宗でした。鎌倉時代の終わり頃から南北朝時代にかけ、その波は西宮地方にも及び、禅寺の六湛寺(ろくたんじ)も建立されました。茂松(もしょう)庵、如意(にょい)庵など5つもの塔頭(たっちゅう)を持つ大寺(だいじ)となったのです。
 戦国時代、荒木村重(あらきむらしげ)の織田信長への反乱により戦火に焼かれました。それ以後、六湛寺は衰退の一途をたどりました。
 幕末(1876年)、この地に長州藩が薩摩藩との戦いで本陣を置いたと言われています。その地に1876年には町営の墓地が造られましたが、その後、この墓地は現在の満池谷(まんちだに)に移転され、市役所などが建てられました。
 現在、この歴史の地には、往時の寺のうち茂松禅寺を残すのみとなりました。
 もうひとつの大寺は海清寺(かいせいじ)で、今も楠に囲まれ、立派な伽藍(がらん)を誇っています。この寺の創建は1394年。臨済宗妙心寺派の高僧、無因宗因(むいんそういん)が開きました。600年間西宮を見てきた大木がそびえるお寺。この人はあの一休さんの先輩になります。
 この地域にまつわる悲しい話として、越水(こしみず)城主の瓦林正頼(かわらばやしまさより)が、文武に秀で信頼していた小姓の若松丸を、その父が自分に敵対した疑いで涙ながらに斬った刑場としても有名です。
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