海清寺の南天棒(なんてんぼう)さん

 西宮市役所のそばに海清寺(かいせいじ)というお寺があります。そこに「南天棒(なんてんぼう)」というえらいお坊さんが住んでおられました。いつも南天の木で作った一メートルほどの棒を持ち歩き、弟子や教えを受けにくる人を、それでたたいてきびしく教えるのです。
 だれでも南天棒さんの前に出ると、ふるえ上がりました。けれども、どんなにこわくても、教えを受けるために、日本中から有名な将軍(しょうぐん)や政治家(せいじか)が海清寺にやってきました。
 ある将軍が、南天棒さんにたずねました。
 「どうすれば戦いに勝つことができますか。」
 南天棒さんは、すぐには答えません。かえって、むずかしい問題を投げ返します。
 「今、この部屋で三千人の兵隊(へいたい)を使ってみよ。」
 将軍は、部屋を見まわし、いっしょうけんめいに考えます。けれども、どうしていいのかわかりません。号令をかけようにも兵隊はいないし、集めてきてもこの部屋には入りきれません。
 とまどっている将軍をじっとにらみつけていた南天棒さんは、いきなり将軍を押したおし、あっという間に背中に馬乗りになりました。そして、あのかたい南天の棒で、おしりをたたきます。たたかれた将軍は、南天棒さんを乗せたまま、思わず一歩前に出ました。
 その将軍もさすがにえらい人です。たたかれて一歩前に出たしゅんかん、何かを感じとったのです。四つんばいになってあるきながら、「わかりました。よくわかりました。その気合いですね。」と言ったということです。
 こんなに元気な南天棒さんも、八十歳になられました。
 ある日、海清寺の庭に、おおぜいのお坊さんや近所の人たちが集まってきました。ざっと見ただけでも千人はいます。いっぱいの人だかりでそばへ近づけません。背のびをしてよく見ると、赤い門の下におそう式のかんおけが出ています。南天棒さんのおそう式にちがいありません。
 お経の声がひとしきりひびき、みんなのお焼香(しょうこう)が長い間つづきます。やがてお経が終わりかけますと、つめかけた人々の前で、ふしぎなことが起こりました。
 かんおけのふたが動くのです。そして、ゆっくりとふたが持ち上がると、死んだはずの南天棒さんが、まっ赤な着物とけさをつけて出てきました。青い顔をしているどころか、元気いっぱいで、いたずらそうな目をしてみんなをみまわしています。
 「わしは今日からもう一ぺん生まれ変わって、みなの衆をしごいてやるわい。この南天棒でなあ。」
 大きな声で言いわたし、ケラケラと笑いました。これを、「南天棒の生きそう式」というのだそうです。
 仏教は、インドのおしゃかさまが始められました。おしゃかさまは七十九歳でなくなっています。南天棒さんは、自分のような者がそれ以上生きるのはおしゃかさまに対して申しわけがないと考えました。そこで、八十歳になった時、自分のおそう式をして、「生まれ変わって、もう一度がんばろう。」と考えたのでした。
 南天棒さんは、かんおけの中で何をしていたと思いますか。黒山のような人が集まって拝(おが)んでいるのに、持ちこんだお酒を一びん空になるまで飲んでいたというのです。なんとふしぎな人ではありませんか。
 南天棒さんの名は、日本国中に知れわたっていました。その人がらをしたって、多くの人が額や掛け軸(じく)にする字を書いてくれるよう、たのみました。南天棒さんが一生のうちに書いた作品は十万点以上に達したと言われています。
 そんなに有名なので高く売れますから、「にせ字書き」もいたようです。
 ある日、西宮警察(けいさつ)からの電話で、南天棒さんが行ってみると、「にせ字書き」の犯人がつかまっているのです。南天棒さんは静かに言いました。
 「お前は、わしよりじょうずだ。金がいったらいつでも来い。わしのは一円だが、お前の字は三円で買ってやる。他人には売るなよ。」
 とてもきびしいお坊さんですが、こんなふうにやさしい心の持ち主でもあったのです。