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2013年3月25日 第1408号

頑張る東北にエール

東日本大震災から2年

東日本大震災発生から2年が経過しましたが、被災地では高台の宅地造成等がようやく始まった状況で、復興にはまだまだ時間がかかります。
市は、兵庫県阪神支援チームを結成し、宮城県女川町、南三陸町の復興を支援するため、職員9人を中長期で派遣しています。
今号では、両町における本市の支援活動や復興状況について、被災地の皆さんの声を交えながら紹介します。
問合せは広報課(0798・35・3400)へ。

南三陸町

写真:被災時(南三陸町)
宮城県の太平洋に面したサケ漁やカキの養殖など漁業が盛んな町で、海、山の美しい自然があり観光客が多く訪れていました。
しかし、津波により市街地のほとんどが流出し、789人が死亡・行方不明となりました。
復興へ勝負の年
写真:及川課長
復興事業推進課 及川課長
南三陸町では、2月に高台の宅地造成などの着工式が行われ、これから町内の各地区で造成工事が進み、復興が計画の段階からようやく目に見える段階へ進んできました。
しかし、商業地の整備や地域コミュニティの構築など問題は山積しています。
同町復興事業推進課長の及川明さんは、「気概を持って業務にあたる応援職員は、町職員のみならず町民からの信頼も厚い。平成25年度は復興事業が大きく動いていく勝負の年。今後もより一層の人的支援をお願いしたい。派遣いただいた職員にとっても、こちらでの業務は貴重な経験になっていると信じています」と語ります。
忘れないで子どもたちを
写真:千葉教頭
伊里前小学校 千葉教頭
町立伊里前小学校は昨年4月から、震災前と同じように授業を進めることができました。
しかし、全校の4割の児童が今も仮設住宅から通う状況で「子どもたちは本当の意味で明るくなっていると言えない」と同校教頭の千葉英志さんは語ります。
また、離れた仮設住宅から車で通学し、外に遊び場がないことから、児童たちの体力低下が心配され、体育の授業で運動量を増やす等の工夫をしています。
本市は、震災後すぐに同校へ学生ボランティアの派遣等の支援を始め、市立大社小学校は昨年から新入生に体操着などを贈っています。
また、伊里前小学校の児童が書いた詩が、昨年10月に本市の野外アートフェスティバルに展示されました。
千葉教頭は、「この交流を続けてもらい、詩を通して子どもたちの心の変化を見てほしい。頑張っている子どもたちがいることを忘れないでほしい」と語ります。

女川町

写真:被災時(女川町)
サンマなど豊かな水揚げを誇る女川漁港を有し、三陸の海岸や島など美しい自然に恵まれた町です。
あの日、津波は家屋の約6割を押し流し、死者・行方不明者は827人にのぼりました。
今後も阪神・淡路の経験を
写真:柳沼参事
復興推進課・柳沼参事
女川町では町全体の復興事業計画も定まり、今後、公営住宅や高台の宅地等の用地造成などを進めていきます。
震災発生当初から復興計画の策定に携わる同町復興推進課参事の柳沼利明さんは「ここまで復興を進めてこられたのは阪神・淡路大震災の経験を最大限に生かして活躍してくれる応援職員のおかげです。
これからさらにスピード感を持って復興事業を進めていくため、応援職員の力を継続してお借りしたい」と語ります。
温かい支援を糧に
写真:阿部さん
行政区長の阿部さん
被災当初から約4カ月の避難所生活を経て、現在は仮設住宅で暮らす行政区長(自治会長)の阿部求さん。
隣近所で支え合って暮らせるよう、高齢者を中心に毎日声かけを続けています。
昨年5月には西宮からボランティアが仮設住宅を訪れ、住民たちとゴーヤの「緑のカーテン」や野菜の苗を植え付けてくれました。
阿部さんは、「久しぶりに土に触れて元気になれた。本当に感謝しています」と語ります。
これから復興が進み、公営住宅に住む人、自力で家を再建する人などさまざまですが、地域の人が同じ場所で生活できるようになればと願っています。

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見ていてください

写真:カキの水揚げ
カキの水揚げで活気あふれる南三陸町の漁港
被災地では仮設住宅の生活が続きます。孤独死を出さないよう、高齢者の見守りや、生きがいづくりなどのサポートが必要です。
女川町、南三陸町では、「孫の手」など高齢者が作る作品を全国のイベントで展示・販売したり、仮設住宅で高齢者と交流するボランティアなどを受け入れたりしています。
被災地に暮らす人たちにとって、全国から忘れられずに見てもらっていることが復興に向かう励みになっています。
また、産業に活気が戻ればまちも元気になります。
両町では港に水揚げが戻りつつあり、仮設の商店街がにぎわいをみせています。
「南三陸さんさん商店街」組合長の及川善祐さんは、「まちを出て行った人たちが喜んで帰って来れる、元気のあるまちをつくりたい。力強く明日に向かって歩み続ける町民の姿を見てもらうことが全国の皆さんへの最大の恩返しです」と語ります。

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奮闘する市職員

写真:復興事業推進課の同僚に囲まれる山口さん
復興事業推進課の同僚に囲まれる山口さん
(前列左から3番目)
南三陸町では現在、本市から派遣された5人の職員が復興支援業務にあたっています。
宅地の高台移転などのために買収が必要な土地は、同町で3500筆にのぼり、応援職員を含む13人が用地買収を担当。
業務にあたる山口直己さんは「用地買収が復興事業を進める鍵となるが、土地の相続人が何十人もいる、抵当権の問題があるなど、さまざまな事情で交渉が進まないことも多い」と苦労を語ります。
しかし、「まずは話を聞くこと」を心掛け、町民の皆さんに親近感を持ってもらえるよう、地元の言葉を交えて話すなど、懸命に業務に励んでいます。
写真:町職員らと打ち合わせをする西尾さん
町職員らと打ち合わせをする西尾さん
(中央)
また、女川町では本市の職員4人が従事しています。
平成23年8月から町中心部の区画整理など復興計画の策定にあたる西尾久和さんは、被災した女川町を見て、まちづくりの基本計画を作っていく必要性を強く感じました。
「復興事業を進めるには国や県との調整など課題も多いですが、何もない状態から元のまち以上のものをつくるよう期待されている。また、今後は女川町の復興の進め方を検証して、西宮市での防災・減災に生かしていきたい」と語ります。

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西宮から被災地応援

市内のライオンズクラブと市は昨年5月に、心に安らぎを抱いてもらえるよう、本市オリジナルフラワーの「ゆめむらさき」を女川町、南三陸町の仮設住宅などに贈りました。
また、市は昨年度に引き続き、8月に両町の高校野球部員を夏の全国高校野球大会に招待するとともに、市立高校との交流試合などを行いました。
その他にも、市民や市内の団体、学校など多くの人たちが、両町をはじめ被災地の皆さんを元気付ける支援を続けています。

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