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2011年6月10日 第1367号

にしのみや歴史見聞録 有馬鉄道の面影をさがして
有馬鉄道の橋脚跡(山口町中野)

このコーナーでは、西宮の歴史スポットを紹介します
橋脚跡
生い茂る草木の中に、
今もたたずむ有馬鉄道の橋脚跡
初夏の風が漂う十八丁川のほとりに立つ石造りの橋脚跡。これは、今はなき「有馬鉄道」の橋脚跡です。
有馬鉄道は1915年から有馬~三田間(約12キロ)で運行され、市内では旧山口村を経由していました。
SLが汽笛を鳴らしながら、片道約30分~40分かけて、1日6・7往復運行していたそうです。
鉄道の敷設が決まった頃は、山口村特産の竹かごの売れ行きも思わしくない不景気な時代だったため、村民の喜びも大きかったようです。
また、市内唯一の停車場となった「有馬口駅」の設置を巡っては、当初は山口村の中心部に建設しようとしていましたが、付近住民の反対が根強かったため、人里離れた下山口字吉田(現在の光明寺周辺)につくられた経緯があります。
旅客の利用のほか物資の輸送などにも使われましたが、1943年に国策により、軍需物資輸送を目的とする篠山線が新設されることになったため、有馬鉄道は廃止されることとなりました。
現在市内には、有馬鉄道の名残が橋脚跡のほかにも、公智神社の前にある「駅前橋」という橋の名にも残っています。

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