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郊外生活のすすめ1900/1950
-電車ポスターにみる西宮市の郊外生活文化-
1998/7/25→8/30 
西宮市立郷土資料館第13回特別展
展示案内図録 


はじめに
今世紀はじめに開業した阪神電鉄・阪急電鉄は、共に設立当初から市外居住・郊外生活を模索し、これを都市生活者の新しいライフスタイルとして紹介、郊外の住宅や余暇を開発することで、乗客の誘致、経営の安定をはかった。
 煙の都市と化した大阪で、「健康」をキーワードとする郊外生活のもたらす効用が宣伝されると、都市の新しい階層として出現してきた給与生活者は、現実性はともあれ、郊外生活を理想的生活と考えるようになってゆく。このようなプロセスは、企業が、郊外生活という未だ見えざる余暇・娯楽・居住の需要を現出させ、自らつくり・売り出すという、今日の消費生活の原型となっている。
 今回の特別展は、需要現出に重要な役割を果たしたポスター・絵はがき・パンフレットなどの広告物を展示し、阪神間としての西宮における郊外生活文化の、開発の軌跡をたどるものである。
〈1900年=明治33年、1920年=大正9年、1940年=昭和15年〉
〈阪神電鉄=1893年神阪電気鉄道・1894年摂津電気鉄道・1895年坂神電気鉄道・1899年阪神電気鉄道〉
〈阪急電鉄=1906年箕面有馬電気鉄道・1907箕面有馬電気軌道・1918年阪神急行電鉄・1943年京阪神急行電鉄・1973年阪急電鉄〉


阪神電鉄開業
1905年、阪神電鉄が開業した。
 関西地方最初の鉄道として、官設鉄道(現JR)大阪-神戸間が開通したのは1894年であった。このとき、西宮にも停車場が設けられたが、発着は1日あたり8便という少ないうえ駅間距離が長く、やや長距離向きの汽車鉄道であった。1893年阪堺鉄道は最初の私設鉄道として開業し、難波-大和川間を汽車が走った。1893年摂津鉄道などが開業していったが、それらは汽車あるいは市内電車であった。
 阪神電鉄は、大阪出入橋と神戸三宮を34駅・90分で結ぶはじめての都市間電車・郊外電車であった。
 1927年、阪神国道電軌大阪西野田-東神戸間が開業し、翌年阪神電鉄がこれを買収した。

■阪神電鉄開業日の広告「阪神電気鉄道開業」1905年(明治38年)4月11日・大阪毎日新聞
■阪急電鉄神戸線開業のポスター「近々開通ノ阪神急行線」1920年(大正9年)・阪神急行電鉄株式会社 (財)阪急学園池田文庫


阪急電鉄開業
1910年箕面有馬電気軌道(のちの阪急電鉄)は、宝塚-大阪梅田・石橋-箕面間に電車を走らせ、1920年、大阪梅田-神戸上筒井間を開業した。1921年には西宝線(西宮北口-宝塚)、1924年には甲陽支線(甲陽線)が開通し、1926年には、西宮北口-今津間を開業、西宝線を今津線と改めた。
 1934年に省線(現JR)が電化されると、阪神間は、省線電車・阪神電車・阪急電車3線が並行する競合路線となった。

■阪急電鉄西宝線開業のポスター「九月二日西宮北口宝塚間開通」1921年(大正11年)・阪神急行電鉄株式会社 (財)阪急学園池田文庫
■阪急電鉄甲陽線開業のポスター「十一月一日より甲陽園行電車開通」1924年(大正13年)・阪神急行電鉄株式会社 (財)阪急学園池田文庫


 初期の電鉄経営は、新しいビジネスとして注目されていて、その敷設申請件数は雨後のタケノコのようであったが、それらは道路に敷設された軌道上に電車を運行する「軌道条例(1890年)」を根拠法にしたものであった。軌道条例による新線敷設許可は、未だ、狭雑なままの都市内道路を整備してゆく都市政策と深くかかわっていた。しかも、主要都市間を結ぶ鉄道は「鉄道国有法(1906年)によって国有化されていたので、新設の私設鉄道は都内交通となるか国有鉄道の間隙をぬって走ることになる。電気軌道は鉄道としては、速度・輸送量に制約があったが、技術改良によって高速郊外鉄道としての基礎は固められていった。

■「市街居住のすゝめ」1908年(明治41年)1月1日・阪神電気鉄道株式会社 阪神電気鉄道株式会社


郊外生活のすすめ
阪神電鉄・阪急電鉄は、ともに設立当初から市外居住・郊外生活を標榜し、これを都市生活者の新しいライフスタイルとして紹介した。阪神電鉄は『市外居住のすゝめ』(1908)、月刊雑誌『郊外生活』(1914年、1915年)、箕有電軌は『如何なる土地を選ぶべきか如何なる家屋に住むべきか』(1909年)などを公刊した。そこでは、「美しき水の都は昔の夢と消え、空暗き煙の都に住」み、「終日の勤務に脳漿を絞」る市民にたいし、「速やかに市街居住を決行して一心の健康と一家の平和を保ち、人生最大幸福を享け、事をするに一層の愉快を以て国家に貢献せらるゝ所あらんことを望むのである」と宣伝した。当時の、市街居住・郊外生活の指向は官民を問わない。内務省地方局有志編の『田園都市』(博文館 1906年)があり、大阪市社会部調査課からは『余暇生活の研究』(弘文堂 1923年)が刊行された。これらは、エベネザー・ハワードの著した『明日の田園都市』(1898年)を端緒とするヨーロッパの田園都市構想・思想に強い影響を受けていた、当時の日本の状況をよく現している。
 郊外生活を実現すべく、阪神電鉄は1905年打出浜に海水浴場を開き、1909年西宮停留所前に貸家30戸を建設した。阪急電鉄は1910年箕面動物園を開園、1911年宝塚新温泉を開設、1910年池田室町住宅地を販売した。いずれも当時未だ郊外であった。
 いっぽう、行政でも、1919年都市計画法・市街地建築物法が施行され、区画整理によって徐々に市街地開発が行われるようになった。西宮では、1920年に行われた西宮町耕地整理事業が最初である。

■月刊雑誌「郊外生活」第1巻第1号 1914年(大正3年)1月15日・阪神電気鉄道株式会社 西宮市


香櫨園
1907年香野蔵治・櫨山喜一は、大社村森具区内、現羽衣町・霞町・殿山町・雲井町・相生町域(約33ha)に娯楽場を開設、これに阪神電鉄が補助金を支出した。園の名称は開設者に由来する。冷泉・ホテル・動物園・音楽堂・遊園地などが複合する総合的な余暇施設であった。阪神電鉄は、香櫨園停留場を新設し、海水浴場を打出浜から香櫨園浜に移設した。間もなく、諸施設の維持が困難となり、阪神電鉄は徹底、音楽堂などの施設を香櫨園浜に移設した。土地は1913年にサミユル・サミユル商会、1917年には大神中央土地株式会社の所有となり、高級住宅地化への端緒となった。1920年阪急電鉄夙川駅が開設されると、パインクレスト=アパート・郵便局・教会などが建設されて、郊外住宅地として成熟してゆく。大社村は、1923年香櫨園区を森具区から分離、1932年夙川区と改称した。1950年、阪急電鉄は、夙川駅周辺住宅経営地3haを販売した。


苦楽園
現苦楽園一番町から五番町にいたる地域約165haは、1906年明 谷保勝会が温泉を開発したことに始まる。1911年中村伊三郎は土地を買収、住宅地の開発に着手し、有産階級の邸宅が建ってゆく。1913年兵庫県の調査によってラジウム温泉湧く出が確認され、園内にラジウム温泉場が開設された。1919年苦楽園は西宮土地株式会社の経営に移り、園内に旅館・ホテルなどを設けた。1924年に阪急電鉄甲陽支線が開通、翌年、苦楽園口駅が開設されて、バスの運行が開始されると、ようやく住宅地化し始める。
 苦楽園の北に隣接して六甲三楽園経営地およびラジウム土地株式会社経営地が開発され、ホテルの経営、住宅地の開発を行った。

■絵はがき「六甲苦楽園麓」1910〜1920年(明治43年〜大正9年)ころ 西宮市立郷土資料館
■「西宮香櫨園地鎮祭、起工式招待状」1907年(明治40年)・香櫨園主 香野蔵治 松本卯吉氏


甲陽園
 現甲陽園本庄町を中心とする約330haの地域をいう。1918年、甲陽土地株式会社が設立され開発が始まった。上水道・電灯・道路を備え、また、クラブ・遊園地・温泉浴場・旅館・歌舞伎劇場・植物園を設け、「宝塚」のような郊外レクリエーション地域として発展した。東亜キネマ映画撮影所が併設された。1924年には、甲陽園を宣伝する雑誌『甲陽』が発行された。阪急電鉄甲陽支線が開通すると、いよいよ隆盛をきわめた。戦前にはまったく衰微してしますが、1959年、阪急電鉄が甲陽園駅周辺経営地(甲陽園・新甲陽)15haを販売し、住宅地としての成長を始める。

■「民衆娯楽雑誌『甲陽』創刊号」1924年(大正13年)・甲陽社 西宮市立郷土資料館


鳴尾
 1905年、鳴尾村辰馬半右衛門が武庫川右岸沿い(1.65ha)に遊園地百花園を開き、名物鳴尾のいちごを紹介した。鳴尾における郊外生活文化の嚆矢である。1926年、阪神電鉄は、百花園と堤防をはさむ武庫川河川敷に武庫川遊園(〜1961年)を開設し、大衆のリクリエーションを提供した。1930年には百花園跡地に武庫川郊外学園を建設し、児童の遠足や校外授業に利用された。
 1907年、1908年相次いで関西競馬倶楽部競馬場・鳴尾速歩競馬会競馬場が建設されたが、まもなく、後者は閉鎖され、1914年には鳴尾ゴルフ・アソシエーションに、1921年からは鳴尾ゴルフ倶楽部(〜1929年)となった。前者は1911年以降曲芸飛行などアトラクション会場として利用され、1916年からは阪神電鉄が鳴尾運動場を経営して、第3回から第9回までの全国中等学校優勝野球大会などが開催された。1937年日本競馬会阪神競馬場と改称し、競馬開催を続けるが、19743年海軍に引き渡され、鳴尾の競馬場は姿を消した。
 鳴尾の郊外住宅の開発は、1910年、阪神電鉄が鳴尾村西畑(現甲子園駅付近)に文化住宅70戸を建設したことに始まり、1922年からは甲子園地域にシフトしてゆく。

■ポスター「鳴尾の苺狩」阪神電気鉄道株式会社 西宮市立郷土資料館
■ポスター「新装なれる鳴尾の競馬」1935年(昭和10年)・阪神電気鉄道株式会社
西宮市立郷土資料館 1934年から全面改装し、翌年4月5日竣工した。
■ポスター「満山つゝじ廣田山 花に水にさては若葉に武庫川遊園」1935年(昭和10年)・阪神電鉄 西宮市立郷土資料館 武庫川遊園は、百花園・武庫川学園とともに、春は桜・初夏はしじみ狩り・夏は蛍狩り・秋には月見を催し、いちご狩り・広田山のつつじ・香櫨園浜や甲子園浜の海水浴場などとあわせて、大衆にリクリエーションを提供した。


仁川・門戸・甲東園
 1921年、阪急電鉄は西宝線開通と同時に門戸厄神・小林駅を設け、1922年甲東園前駅を開設し、翌年3月から甲東園住宅経営地3.3ha・建売住宅48戸を販売した(現甲東園1丁目〜3丁目)。阪急電鉄による西宮市域での、最初の住宅開発である。その後阪急電鉄は、今津線沿線の住宅地を開発してゆく。1924年仁川駅西側一帯の仁川住宅経営地43ha

(宝塚仁川台、鹿塩、高丸)、1935年仁川高台経営地(5.3ha)、1944年門戸駅前住宅地(9.9ha)がそれである。
 「甲東園」は、1896年大阪の芝川又右衛門が現上甲東園の地に開いた、十町歩(約9.9ha)の果樹園の名前に由来する。
 その他の民間資本による住宅開発に、日本住宅株式会社が1924年仁川日堤防跡地に造成した、仁川住宅地がある。

■ポスター「西宮門戸駅前住宅分譲」1945年(昭和20年)・京阪神急行株式会社経営部 (財)阪急学園池田文庫


西宮北口
 西宮北口は、1926年、西宝線の開通によって神戸・宝塚・西宮・大阪を直通で結ぶ交通の要となった。1927年日本ペイント株式会社は、現南・北昭和町域に昭和園住宅地を販売した。1930年には阪急電鉄が甲風園住宅8.6haを売り出した。現在の甲風園1丁目〜3丁目の区域である。阪急電鉄直営になるスポーツ・文化の拠点としての本格的な発展は、1937年の阪急西宮球場(現阪急西宮スタジアム)開設を待つことになる。
 阪急電鉄は、1924年わが国最初のプロ野球団として宝塚運動協会を設立した。宝塚運動協会は1929年解散したが、1936年には、現オリックス・ブルーウェーヴんの前身大阪阪急協会(チーム名=阪急職業野球団)を結成し、宝塚運動場を本拠とした。
 西宮球場は1937年5月1日に開場するが、之に先立つ3月25日から博覧会大毎フェア・ランドが開催された。球場周辺はスポーツ、リクリエーションの施設が整備されたいった。戦後、1960年3月18日から球場とその外園でアメリカ博が開催された。

■招待状「阪急西宮球場開場記念試合・場内観覧」1937年(昭和12年)阪神急行電鉄株式会社 西宮市立郷土資料館 建設当時、日本で唯一の2層式スタンドが採用され、観覧席収容人員は5万千人であった。開場記念には、地元中等学校野球の名門浪華商業(大阪)対滝川中学(兵庫)、興業商業(大阪)対甲陽中学(兵庫)の2試合が行われた。
■ポスター「大毎フェア・ランド」1937年(昭和12年)・阪神急行電鉄株式会社(財)阪急学園池田文庫 大阪毎日新聞社が主催して、3月25日から5月23日まで西宮北口南側で開催された。日独協定記念館やサーカス場・競犬(ドッグレース)場などの施設があった。
■ポスター「五月一日開場阪急西宮球場」1937年(昭和12年)・阪神急行電鉄株式会社(財)阪急池田文庫
■ポスター「アメリカ博」1950年(昭和25年)・京阪神急行電鉄株式会社(財)阪急池田文庫


甲子園
 甲子園は、枝川・申川から生まれた。
 1922年、兵庫県施工の武庫川改修工事における枝川・申川廃河川地の大部分73.92haが410万円で阪神電鉄に払い下げられた。1924年、甲子園球場の完成によってスポーツ・リクリエーション・郊外住宅地としての甲子園の開発が始まる。1925年甲子園浜海水浴場(〜1965年)、1928年御大典記念阪神博覧会、1929年同博覧会場跡に甲子園娯楽場(のちの阪神パーク)、1929年甲子園南運動場(〜1943年)、1930年甲子園ホテル(〜1944年)・1935年阪神水族館(〜1943年)、1937年甲子園水上競技場(〜1974年)・甲子園国際庭球場(〜1944年)など数多くのスポーツ・リクリエーション施設を開設していった。阪神電鉄本線甲子園駅は1926年常置となり、同時に甲子園線(甲子園-浜甲子園)が営業を開始、翌年阪神国道線が開通し、甲子園線も、1928年上甲子園、1930年には中津浜まで延長された。これに歩調を合わせるように、住宅地も次々と販売されてゆく。住宅地の分譲は1928年に始まり、1937年までには上甲子園・中甲子園・浜甲子園更に南甲子園が住宅地として形を整えていった。
 しかし、スポーツ・リクリエーション施設の多くは戦時体制に入る1942、3年ころから次々と閉鎖されてしまった。

■リーフレット「運だめし阪神博入場券付明るい電灯のおすゝめ」1928年(昭和3年)・阪神電気鉄道株式会社 阪神電気鉄道株式会社
第一次世界大戦前には、電鉄事業と電灯電力事業は兼営が常であった。阪神電車は、1908年西宮町・大社村・今津村鳴尾村ほか阪神間各町村電力供給を開始し、1914年瓦木村・甲東村ほかにも供給を始めた。しだいに産業用電力需要が低迷していくなかで、1920年ころから家庭用電力・電化製品の販売を強化した。阪急電鉄は自社開発の沿線住宅地を中心に電力供給を行っていく。1941年国家総動員法にもとづいて公布された配電統制令によって、1942年阪神・阪急などの出資による関西配電株式会社が設立、電気会社は電力事業から撤退する。

■ポスター「第16回全国中等学校蹴球大会」1934年(昭和9年)・阪神電気鉄道株式会社 西宮市立郷土資料館
甲子園南運動場は、野球以外のスポーツ機能を甲子園球場から分離する形で、1929年開設された。陸上競技・サッカー・ラグビーなどの大会が盛んに開催された。1943年、川西航空機工場の飛行場拡張のため水族館・阪神パークとともに閉鎖。
■リーフレット「甲子園住宅経営地案内」1937年(昭和12年)ころ・阪神電気鉄道株式会社事業課 阪神電気鉄道株式会社

阪神電鉄による、甲子園の住宅・スポーツ・リクリエーションの施設は1937年ころまでには、ほぼ完成した。阪神国道(国道2号線)以北に上甲子園住宅地・浄水場・甲子園ホテル、阪神国道と阪神本線にはさまれた区域に中甲子園住宅地、阪神本線以南に野球場・南運動場・阪神パーク・海水浴場などのおもなスポーツ・余暇施設・浜甲子園住宅地・南甲子園住宅地を経営した。また、1932年上甲子園住宅建築競技会、1934年浜甲子園健康住宅地の海辺に建つ夏の家展覧会のように当時全国の都市で盛んに開催された花押が移住宅の博覧会も開かれた。

■ポスター「三月二十六日開館東洋一浜甲子園阪神水族館」1935年(昭和10年)・阪神電気鉄道株式会社 西宮市立郷土資料館
阪神水族館は1935年阪神パークの拡張と同時に開館した。たくさんの珍魚が飼育される水槽のほか、ゴンドウグジラを泳がせる鯨池などもあり、その規模は自社の新入社員への訓辞に引用されるほど、阪神電鉄にとって誇るべきものであった。1943年閉鎖。

■ポスター「お正月には浜甲子園パークへ」1935年(昭和10年)・阪神電気鉄道株式会社 西宮市立郷土資料館
甲子園開発の初期1928年、南運動場のさらに南側で御大典記念阪神大博覧会が開かれ、その跡地・施設を利用して翌年甲子園娯楽場が開設された。1932年動物園・遊技整備を増強、動物サーカス団を編成するなどして、阪神パークと改称した。1943年閉鎖されるが、1950年現在の場所に復活した。


本展の開催にあたって、多くの方々のご協力を賜りました。ご芳名を記し、心からお礼申し上げます。

上田 雄   財団法人阪急学園池田文庫
遠藤徳次   阪急西宮スタジアム
大内昌子   阪神甲子園球場
北野 靖   阪神電気鉄道株式会社
黒木敏郎   西宮市立中央図書館
辰巳和之
田中晋作
谷坂孝志
津金澤聰廣
南野武衛
堀内 冷
松本卯吉


主な参考文献
『市街居住のすゝめ』高田兼吉 1908年
『阪神急行電鉄二十五年史』阪神急行電鉄株式会社 1932年
『輸送奉仕の五十年史』阪神電気鉄道株式会社 1955年
『京阪神急行電鉄五十年史』京阪神急行電鉄株式会社 1959年
『西宮文化』第9,12,13,15,18,23号 西宮文化協会 1965年〜1989年
『区画整理』西宮市建設局区画整理課 1966年
『西宮市史』第三巻 西宮市 1967年
『近代日本の産業デザイン思想』柏木博 1979年
『大正文化』竹村民郎 1980年
『田園都市と日本人』(講談社学術文庫) 1980年
『余暇生活の研究』氏原正治郎解説 1981年
『75年のあゆみ』(記述編・写真編)阪急電鉄株式会社 1982年
『阪神電気鉄道八十年史』阪神電気鉄道株式会社 1985年
『郊外住宅地の系譜』山口廣編 1987年
『INAXギャラリー大阪特別企画「大正住宅改造博覧会の夢」』株式会社INAX 1988年
『ふるさとの思い出写真集 明治大正昭和 西宮』南野武衛・堀内 冷 1988年
『まちにすまう-大阪都市住宅史』大阪都市協会編 1989年
『阪神競馬のあゆみ』日本中央競馬会阪神競馬場 1991年
『宝塚戦略-小林一三の生活文化論』津金澤聰廣 1991年

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郊外生活のすすめ1900/1950
-電車ポスターにみる西宮の郊外生活文化
西宮市立郷土資料館第6回特別展展示案内図録
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編集・発行 西宮市立郷土資料館
〒662-0944
兵庫県西宮市川添町15番26号
電話 0798-33-1298
発行年月日 1992年8月1日
印   刷 〓〓〓〓


展示資料一覧

はがき

阪急西宮球場完成御案内はがき

阪急電鉄株式会社

1937(昭和12)

155×103

アルバム

昭和初期サーカス写真帳

個人収集

1936・37(昭和11・12)

189×146

ポスター

お月見は甲陽園

阪急電鉄株式会社

211×575

ポスター

近くて便利な松茸狩は阪急電車沿線へ

阪急電鉄株式会社

221×572

ポスター

三月二十六日開館東洋一浜甲子園阪神水族館

阪神電鉄株式会社

1935(昭和10)

925(+295)×612

ポスター

初詣は摩耶山、廣田神社、甲山大師、門戸厄神

阪急電鉄株式会社

211×578

ポスター

16日のサッカー 第6回東西学生リーグ決勝蹴球戦

阪神電鉄株式会社

1934(昭和9)

360×792

ポスター

17日の野球戦 3時早大−関学 甲子園球場

阪神電鉄株式会社

360×782

ポスター

25日の甲子園南運動場

阪神電鉄株式会社

1934(昭和9)

362×788

ポスター

お正月には浜甲子園阪神パークへ

阪神電鉄株式会社

1935(昭和10) 

360×793

ポスター

関西中等学校陸上競技対校選手権大会

阪神電鉄株式会社

360×785

ポスター

初詣は 西宮ゑびす 廣田神社

阪神電鉄株式会社

360×782

ポスター

御子達の楽園 浜甲子園阪神パーク

阪神電鉄株式会社

780×526

ポスター

甲子園の野球戦 23日2時早大対関大

阪神電鉄株式会社

778×360

ポスター

甲子園の野球戦 立教−関大、−関学、−同志社

阪神電鉄株式会社

778×360

ポスター

皇太子殿下御降誕記念 大宝探しデー

阪神電鉄株式会社 

1934(昭和9)

360×775

ポスター

阪神競馬 九年秋季開催日

社団法人阪神競馬倶楽部 

1934(昭和9)

775×530

ポスター

初詣は 西宮ゑびす 廣田神社

阪神電鉄株式会社

360×793

ポスター

新春 鳴尾の競馬

阪神電鉄株式会社

360×779

ポスター

西宮十日戎

阪神電鉄株式会社

360×731

ポスター

全国高等学校野球選手権大会

阪神電鉄株式会社

360×775

ポスター

第16回全国選抜中等学校野球大会

阪神電鉄株式会社 

1939(昭和14)

360×790

ポスター

第16回全国中等学校蹴球大会

阪神電鉄株式会社

1934(昭和9)

362×783

ポスター

第17回全国中等学校ラグビー大会

阪神電鉄株式会社

1935(昭和10)

365×784

ポスター

第20回全国中等学校優勝野球大会

阪神電鉄株式会社

1934(昭和9)

360×781

ポスター

第20回全国中等学校陸上競技対校選手権大会

阪神電鉄株式会社

1935(昭和10)

357×765

ポスター

第2回選抜高等学校野球大会

阪神電鉄株式会社

1949(昭和24)

360×768

ポスター

第4回全国中等学校東西対抗陸上競技大会

阪神電鉄株式会社

360×776

ポスター

第十四回全国選抜中等学校野球大会

阪神電鉄株式会社

1937(昭和12)

360×772

ポスター

第二十一回全日本陸上競技選手権大会

阪神電鉄株式会社

1934(昭和9)

360×788

ポスター

東西大学対抗陸上競技 甲子園南運動場

阪神電鉄株式会社 

1934(昭和9)

365×792

ポスター

日米国際対抗陸上競技大会

阪神電鉄株式会社

1934(昭和9)

362×783

ポスター

満山つゝじの廣田山 花に水にさては若葉に武庫川遊園

阪神電鉄株式会社 

1935(昭和10)

927×620

ポスター

鳴尾の莓狩

阪神電鉄株式会社

360×773

ポスター

新装なれる鳴尾の競馬

阪神電鉄株式会社

1935(昭和10)

362×794

絵はがき

甲陽公園カルパス温泉付近ノ景

91×142

絵はがき

甲陽公園甲陽館ノ遠望

92×142

絵はがき

甲陽公園甲陽館全景

91×141

絵はがき

甲陽公園甲陽館全景(側面)

92×139

絵はがき

甲陽公園甲陽遊戯場(猿)

142×91

絵はがき

甲陽公園子持橋ヨリ甲陽館ヲ望ム

91×142

絵はがき

甲陽公園遊戯場自動遊動木馬

92×143

絵はがき

香櫨園ウォタシュト

阪神電鉄株式会社

1909(明治42)

92×141

絵はがき

香櫨園沿海水浴全景

阪神電鉄株式会社

91×142

絵はがき

香櫨園入口

阪神電鉄株式会社

1910(明治43)ころ

91×141

絵はがき

瀬戸内海水浴場(夏季の涼味)

91×142

絵はがき

西宮香櫨園海浜運動場

1922(大正11)

91×140

絵はがき

鳴尾村端ヨリ遥カニ関西競馬倶楽部馬見場ヲ望ム

関西競馬倶楽部

1907(明治40)

90×140

絵はがき

六甲苦楽園ラジューム温泉ノ一 六甲苦楽園

91×141

絵はがき

六甲苦楽園ラジューム温泉場

1915(大正4)ころ

91×143

絵はがき

六甲苦楽園ラジューム温泉前 ラジューム温泉六甲苦楽園

89×139

絵はがき

六甲苦楽園ラジューム温泉特等休憩室 六甲苦楽園

91×140

絵はがき

六甲苦楽園恵ヶ池ヨリ六甲ホテルヲ望ム(其ノ一) ラジューム温泉六甲苦楽園

89×139 

絵はがき

六甲苦楽園恵ヶ池ヨリ六甲ホテルヲ望ム(其ノ二) ラジューム温泉六甲苦楽園

89×139

絵はがき

六甲苦楽園三笑橋付近 ラジューム温泉六甲苦楽園

139×89

絵はがき

六甲苦楽園全景(其ノ一) ラジューム温泉六甲苦楽園

89×139

絵はがき

六甲苦楽園全景(其ノ二) ラジューム温泉六甲苦楽園

89×138

絵はがき

六甲苦楽園麓 六甲苦楽園

141×91

絵はがき

六甲苦楽園萬象館 ラジューム温泉六甲苦楽園

88×138

冊子

パイン・クレスト パイン・クレスト

179×97

冊子

一目でわかる漫画案内アメリカ博

朝日新聞社?

1950(昭和25)

257×145

冊子

沿線御案内 阪神急行電鉄株式会社

阪急電鉄株式会社

1938(昭和13)

183×99

冊子

沿線御案内 阪神急行電鉄株式会社

阪急電鉄株式会社

1938(昭和13)ころ

182×99

冊子

御大典記念国産振興阪神大博覧会案内図

阪神電鉄株式会社

1928(昭和3)

270×100

冊子

皇紀二千六百年 新春

阪神電鉄株式会社

1940(昭和15)

152×178

冊子

阪神電車沿線案内

阪神電鉄株式会社

182×113

冊子

阪神電車沿線案内

阪神電鉄株式会社

185×139

冊子

阪神便覧

阪神電鉄株式会社

180×95

冊子

春の阪急電車沿線へ 阪神急行電鉄株式会社

阪急電鉄株式会社

176×87

冊子

春ひらく

阪神電鉄株式会社

151×181

冊子

新春

阪神電鉄株式会社

204×88

冊子

*政府公認鳴尾大競馬 阪神競馬倶楽部

1923(大正12)

296×193

冊子

西宮今津健康住宅地案内

西宮市今津土地区画整理組合

1936(昭和11)

265×134

冊子

西宮市(鳥瞰図)

西宮市

1952(昭和27)

178×129

冊子

日本一紅葉の名所 みのお公園 回遊御案内

阪急電鉄株式会社

133×65

冊子

箕面公園案内 阪神急行電鉄株式会社

阪急電鉄株式会社

186×92

雑誌

*『郊外生活』(23冊)

阪神電鉄株式会社

1914・15(大正3・4)

225×152

雑誌

**民衆娯楽雑誌『甲陽』創刊号

甲陽社

1923(大正13)

220×145

書籍

アメリカ博覧会

朝日新聞社

1950(昭和25)

375×265

地図

*大神中央土地株式会社経営地香櫨園御案内

大神中央土地株式会社

1920(大正9)ころ

550×395

■松本卯吉氏所蔵

冊子

香櫨園地鎮祭及び起工式招待状(附 絵はがき)香櫨園主香野蔵治

1907(明治40)

91×136

■南野武衛氏所蔵

地図

ラジウム土地株式会社経営地実測平面図

ラジウム土地株式会社

1926(大正15)

357×677

地図

六甲三楽園住宅経営地 六甲三楽園

562×402

■財団法人阪急学園池田文庫所蔵

ポスター

西宮球場開場

阪急電鉄株式会社

1937(昭和12)

910×620

ポスター

大毎フェアランド

阪急電鉄株式会社

1937(昭和12)

1060×765

ポスター

アメリカ博(開幕)

阪急電鉄株式会社

1950(昭和25)

750×523

ポスター

阪急西宮植木市場再開

阪急電鉄株式会社

1947(昭和22)

620×473

ポスター

再開阪神競馬

阪急電鉄株式会社

1949(昭和24)

727×505

ポスター

仁川ピクニックセンター

阪急電鉄株式会社

1951(昭和26)

750×530

ポスター

芦屋浜海水浴

阪急電鉄株式会社

1951(昭和26)

767×541

ポスター

西宮戎臨時駅特設

阪急電鉄株式会社

767×541

ポスター

すぐ住める御住まいのご案内

阪急電鉄株式会社

1938(昭和13)ころ

775×532

ポスター

西宮門戸駅前住宅地分譲

阪急電鉄株式会社

1945(昭和20)

768×545

ポスター

サンデー五十銭ハイキング

阪急電鉄株式会社

1941(昭和16)

782×535

ポスター

阪急独得五十銭ハイキング

阪急電鉄株式会社

1941(昭和16)

770×548

ポスター

桜ハみのお公園 甲山

阪急電鉄株式会社

151×541

 

ポスター

十八 十九両日門戸厄神祭

阪急電鉄株式会社

165×528

ポスター

恵方神まゐり ・・・門戸厄神 甲山大師 廣田神社・・・

阪急電鉄株式会社

151×547

ポスター

新緑のみのお公園 甲山 甲陽園 苦楽園・・・・・

阪急電鉄株式会社

153×540

ポスター

温泉めぐり(有馬 甲陽 苦楽園)

阪急電鉄株式会社

153×541

ポスター

お月見と御散歩はみのお公園 宝塚 甲陽園 六甲山

阪急電鉄株式会社

150×540

ポスター

汗の大阪より涼しいみのお 宝塚 苦楽園 甲陽園

阪急電鉄株式会社

150×535

ポスター

神戸線開通予告 近々開通の阪神急行線

阪急電鉄株式会社

1920(大正9)

147×534

ポスター

九月二日西宮北口宝塚間開通

阪急電鉄株式会社

1921(大正10)

168×550

ポスター

甲陽園行電車開通

阪急電鉄株式会社

1924(大正13)

151×550

冊子

秋の行楽御案内

阪急電鉄株式会社

1936(昭和11)

155×115

冊子

大毎フェアランド(『四月阪急だより』)

阪急電鉄株式会社

1937(昭和12)

180×131

冊子

阪急春の行楽御案内(大毎フェア)

阪急電鉄株式会社

1937(昭和12)

305×209

冊子

お子達の集団徒歩旅行

阪急電鉄株式会社

1939(昭和14)

128×92

冊子

緑陰を求めて 阪急沿線林間教授好適地

阪急電鉄株式会社

190×133

■阪神電気鉄道株式会社所蔵

冊子

増燈増燭のおすゝめ運だめし阪神博の入場券差上げます

阪神電鉄株式会社

1928(昭和3)

190×265

冊子

運だめし阪神博入場券付明るい電燈のすゝめ

阪神電鉄株式会社

1928(昭和3)

270×190

冊子

運だめし阪神博入場券付明るい電燈のすゝめ

阪神電鉄株式会社 

1928(昭和3)

270×190

冊子

甲子園住宅経営地案内

阪神電鉄株式会社

1935(昭和5)

250×105

冊子

甲子園住宅経営地案内および定価表

阪神電鉄株式会社

1937(昭和12)

255×115

冊子

阪神バス沿線案内

阪神電鉄株式会社

1940(昭和15)ころ

195×115

冊子

スポーツの殿堂甲子園

阪神電鉄株式会社

1929(昭和4)

190×130

書籍

市外居住のすすめ

阪神電鉄株式会社

1908(明治41)

190×135


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