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西宮湯川記念事業

湯川秀樹博士について

更新日:
2014年6月24日
ID:
15273

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湯川秀樹博士

1907年(明治40年) 当時農商務省の地質調査所に勤務していた父、小川琢司と母、小雪の三男として東京・麻布で生まれた                   【基礎物理学研究所湯川記念館史料室蔵】
                                   (文中敬称略)

1907年(明治40年) 当時農商務省の地質調査所に勤務していた父、小川琢司と母、小雪の三男として東京・麻布で生まれた
左から、次男・茂樹(東洋史学者)、三男・秀樹、四男・環樹(中国文学者)、長男・芳樹(治金工学者)。長男の上に姉が二人おり、弟・環樹の下に五男・滋樹がおり7人兄弟だった

左から、次男・茂樹(東洋史学者)、三男・秀樹、四男・環樹(中国文学者)、長男・芳樹(治金土学者)。長男の上に姉が二人おり、弟・環樹の下に五男・滋樹がおり7人兄弟だった
前列:父・小川琢司、母・小雪、後列:左から、四男・環樹、次男・茂樹、三男・秀樹、五男・滋樹

前列:父・小川琢司、母・小雪、後列:左から、四男・環樹、次男・茂樹、三男・秀樹、五男・滋樹
旧制第三高等学校時代(左が秀樹)

旧制第三高等学校時代(左:秀樹) (敬称略)
1932年(昭和7年) 湯川スミと結婚 湯川姓を名乗る

1932年(昭和7年) 湯川スミと結婚 湯川姓を名乗る
1948年(昭和23年) 元旦の自画像

1948年(昭和23年) 元旦の自画像
1949年(昭和24年) スウェーデン国 グスタフ・アドルフ皇太子よりノーベル物理学賞が授与される

1949年(昭和24年) スウェーデン国 グスタフ・アドルフ皇太子よりノーベル物理学賞が授与される
【ノーベル物理学賞 メダルの表】ノーベル男爵の肖像

【ノーベル物理学賞 メダルの表】ノーベル男爵の肖像
【ノーベル物理学賞 メダルの裏】スキエンティア(=科学)がナツーラ(=自然)という女神のベールをめくってその素顔を見せている

【ノーベル物理学賞 メダルの裏】スキエンティア(=科学)がナツーラ(=自然)という女神のベールをめくってその素顔を見せている
1953年(昭和28年)プリンストン研究所の庭を4人で議論しながら歩いている、左からアインシュタイン、湯川、ホイーラー、バーバー

1953年(昭和28年)プリンストン研究所の庭を4人で議論しながら歩いている、左からアインシュタイン、湯川、ホイーラー、バーバー
1956年(昭和31年) 京都大学基礎物理学研究所 地階にて

1956年(昭和31年) 京都大学基礎物理学研究所 地階にて
1956年(昭和31年)頃 ソフトボール大会 京都大学農学部グラウンドにて

1956年(昭和31年)頃 ソフトボール大会 京都大学農学部グラウンドにて
1965年(昭和40年) 中間子論30年記念素粒子国際会議 湯川博士は、前列右から3人目

1965年(昭和40年) 中間子論30年記念素粒子国際会議 湯川博士は、前列右から3人目
1981年(昭和56年)第4回科学者京都会議に出席 中央が湯川博士

1981年(昭和56年)第4回科学者京都会議に出席 中央が湯川博士

湯川秀樹博士略年譜


明治40年(1907年)1月23日父琢治、母小雪の三男として、東京麻布に生まれる
明治41年(1908年)1歳京都市に転居
大正 2年(1913年)6歳京極尋常小学校入学
大正 8年(1919年)12歳京都府立第一中学校(現洛北高校)入学
大正12年(1923年)16歳第三高等学校入学
大正15年(1926年)19歳京都帝国大学理学部物理学科入学
昭和 4年(1929年)22歳京都帝国大学理学部物理学科卒業
昭和7年(1932年)25歳湯川スミと結婚。湯川姓を名のる。養父玄洋、養母みち。
京都帝国大学講師
昭和8年(1933年)26歳大阪帝国大学講師を兼ねる
苦楽園の新居に居住
昭和9年(1934年)27歳大阪帝国大学専任講師
この秋、中間子を予言。日本数学物理学会で講演。論文「素粒子の相互作用Ⅰ」(中間子論第Ⅰ論文)を投稿
昭和10年(1935年)28歳同論文日本数学物理学会欧文誌に掲載
昭和11年(1936年)29歳大阪帝国大学理学部助教授
最初の著書「ベーター放射線の理論」が出版される
昭和14年(1939年)32歳京都帝国大学理学部教授となる
素粒子論に関するソルベー国際物理学会議に招待され渡欧したが、第2次世界大戦勃発のため会議が中止され、アメリカを経由し、アインシュタインその他多くの物理学者に会い、帰国
昭和15年(1940年)33歳学士院恩賜賞受賞
甲子園口に転居
昭和18年(1943年)36歳文化勲章受賞
京都に転居
昭和21年(1946年)39歳欧文学術雑誌「理論物理学の進歩」を創刊
帝国学士院会員となる
昭和24年(1949年)42歳コロンビア大学教授となり、ニューヨークに移る
核力に関する中間子理論によりノーベル物理学賞を受賞する
昭和25年(1950年)43歳論文「非局所場の理論について」を発表
昭和28年(1953年)46歳この年創立された京都大学基礎物理学研究所初代所長となる
京都及び東京で開かれた国際理論物理学会議会長をつとめる
昭和30年(1955年)48歳ラッセル・アインシュタイン宣言の共同署名者となる
下中弥三郎氏・茅誠司氏らと世界平和アピール七人委員会を結成
昭和36年(1961年)54歳ウィーンで開かれた世界連邦世界協会(WAWF)の世界大会で会長に推される
昭和37年(1962年)55歳朝永振一郎氏、坂田昌一氏らと第1回科学者京都会議を開催
昭和40年(1965年)58歳世界連邦世界協会名誉会長
昭和41年(1966年)59歳論文「原子論と時間空間の分割性」(素領域理論)を発表
昭和45年(1970年)63歳京都大学を定年退職、同大学名誉教授
昭和56年(1981年)74歳
9月8日
第4回科学者京都会議を主催
京都下鴨の自宅で永眠


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